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拉致被害者帰国から20年 あの日…「母の姿を探していました」 曽我ひとみさんが手紙に寄せた“母への思い”

2022年10月14日 19:00
拉致被害者帰国から20年 あの日…「母の姿を探していました」 曽我ひとみさんが手紙に寄せた“母への思い”

北朝鮮による拉致被害者5人が帰国して10月15日で20年。しかし、その1人、曽我ひとみさんだけは、あの日、笑顔がありませんでした。一緒に拉致されたまま帰国できていない母への思いを、曽我さんが手紙で明かしました。

   ◇◇◇

2002年10月、北朝鮮に拉致され、24年ぶりに帰国した5人。あれから20年…その1人、拉致被害者の曽我ひとみさん(63)は、今年8月の講演会で、「20年間、本当にいろんなことがありました。父親を亡くし、夫を亡くし、でも私にとって一番悲しいこと、つらいことは、この長い長い時間、母と一度も会えないでいるということです」と話しました。

一緒に拉致された母・ミヨシさんは、44年たった今も帰国を果たせていません。

今月届いた1通の手紙には、「私一人ではどうしようも出来ないもどかしさを感じています」とつづられていました。

   ◇◇◇

曽我さんは、1978年8月12日、母・ミヨシさんと買い物に行った帰り道、男3人に突然拉致されました。連れて行かれた先は北朝鮮。気づいた時には母の姿はなく、北朝鮮の工作員から「お母さんは日本で元気に過ごしている」と言われたといいます。

北朝鮮の手引きで、脱走した元アメリカ兵・ジェンキンスさんと結婚。娘2人を産んだ曽我さんは、自らも親になったことで、母への思いがより一層募ったといいます。

しかし、2002年運命が動き出します。

史上初の日朝首脳会談で、北朝鮮が日本人拉致を認め謝罪。日本側の拉致被害者リストに入っていなかった、曽我さんの拉致も告白したのです。

そして、20年前、夢にまで見た日本へ。

タラップを降りる映像では、喜びを爆発させる4人とは対照的に、曽我さんに笑顔はありませんでした。実は帰国直前、日本側から「母があの日から行方不明のままだ」と知らされたのです。

手紙には――

「北朝鮮はお母さんは日本にいると言う。日本はお母さんは日本にいないと言う。私の目で確かめるしかない。タラップを一人で降りる時もどこかで母の姿を探していました」

当時の思いを明かしました。

帰国直後に行われた会見でも、久しぶりの日本語で精いっぱい発した一言は、母に向けられたものでした。

曽我ひとみさん(当時43)
「とても会いたかったです」

ふるさとで新たな生活に慣れていく曽我さん。その一方で、母を北朝鮮に残してきた罪悪感を抱いていました。

2003年、曽我さんを励まそうと支援者たちが集まったクリスマス会でも、曽我さんは「まだお母さん(帰ってきて)いないんだもん。お母さんいないんですよ。1人しかいないんですよ。お母さんって」と話すなど、口をついて出るのは母のことでした。

2004年には、北朝鮮に残してきた夫や娘を日本に連れてくることができましたが、北朝鮮は母の拉致を認めず「北朝鮮に入っていない」と回答したのです。

「母が帰ってきたら親孝行がしたい」曽我さんは、その思いを仕事に生かすことにしました。現在も、高齢者福祉施設で介護員として働いています。

「母を必ず救い出す」曽我さんは仕事の合間を縫って、署名活動などを続けています。

曽我ひとみさん(8月・講演会)
「かあちゃん今、どこでどうしていますか。もう少しだけ頑張ってください。必ず助けます」

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