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帰国20年 拉致被害者・曽我さん「母のただいまの声を聞くその日まで…」 手紙全文

2022年10月3日 17:34
帰国20年 拉致被害者・曽我さん「母のただいまの声を聞くその日まで…」 手紙全文
曽我ひとみさん

北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんが帰国して、今月で20年。曽我さんは日本テレビに手紙を寄せ、一緒に拉致されたまま救出できていない母への思いとともに、「母の『ただいま』の声を聞くその日までずっと待っています」と再会への願いをつづっています。

■「母に会いたい」打ち砕かれた願い

曽我ひとみさんは、1978年8月、母・ミヨシさんと一緒に新潟県佐渡市の自宅から近所の商店に買い物に出掛けた帰り道、北朝鮮の工作員に拉致されました。当時、ひとみさんは19歳、ミヨシさんは46歳でした。

北朝鮮で母のことを心配する曽我さんに、工作員は「お母さんは日本で元気に過ごしている」と話したといいます。

「生きていればきっといつか母に会える」

母との再会を信じ、24年に及ぶ北朝鮮での暮らしにも必死に耐えてきた曽我さん。

しかし、2002年、その希望は打ち砕かれます。史上初めて行われた日朝首脳会談の後、日本政府から北朝鮮に派遣された事実調査チームから、「お母さんは日本にいません、行方不明です」と知らされたのです。

その瞬間、曽我さんは目の前が真っ暗になったといいます。

「母は一体どこにいるのだろうか」

大きなショックを受けたまま、2002年10月15日、24年ぶりに日本に帰国することになった曽我さん。その表情は硬く、笑顔はありませんでした。

そして、帰国後の記者会見で、久しぶりに話す日本語で、たった一言だけ「会いたかったです」と口にしました。

この時の心境、この20年間の複雑な思いについて、曽我さんが日本テレビの質問に答えました。

■母の「ただいま」の声を聞くその日まで…

【手紙全文】

──20年前、帰国後の会見で話した「会いたかったです」という言葉に込めた思いについて

『会いたかったです』 短い言葉ですが あの時の私が心から言える精一杯の言葉でした。
北朝鮮は お母さんは日本にいると言う。
日本は お母さんは日本にはいないと言う。私の目で確かめるしかない。
そして 絶対に母に会いたいと 強く願っていました。
そして タラップを一人で降りる時も どこかで母の姿をずっと探していました。これからも母に会える日が絶対に来る事を信じ 生きていきたいと思います。

──高齢者福祉施設での介護職の仕事をしながら、救出活動を続けてきた20年について

20年 あまりにも長い年月が過ぎてしまいました。
仕事をしながらの救出活動は 正直 大変な時もありました。仕事がら母と同年代の方々と接する事が多い私です。時には 母と 重ね合わせて見てしまったり 元気や勇気をもらう事もシバシバありました。
これからも自分の出来る事を 自分なりに 精一杯やっていきます。

──20年たっても拉致問題に進展がみられない現状について

90才を過ぎた母の事を思うと なんとかできないものか どうしたら日本に帰ってこれるのだろうか。かわれるものならかわってあげたいと様々な事を考えていますが どれもこれも うまくいかないのです。私一人ではどうしようも出来ないもどかしさを感じています。政府や国民の方々が1つになり 拉致問題を1日も早く解決する為に、これまで以上にお力をお貸しいただきたいと心から願っています。
佐渡の家で 母の『ただいま』の声を聞くその日まで ずっと待っています。1日も早く帰って来て下さい。
母の顔を見る事が 私にとって一番のしあわせです。


■母・曽我ミヨシさんの生存情報か

曽我さんの母・ミヨシさんについて、北朝鮮は「入境していない」と日本に回答しています。

しかし、関係者によると、20年前、曽我さんと一緒に帰国した拉致被害者の地村富貴恵さんが、北朝鮮の招待所で“ある手紙”を見つけたと証言をしていることがわかっています。

「(北朝鮮の)忠龍里(の招待所)にいた頃、三面鏡の引き出しの中に紙が入っていて、それをはがしたら、手紙が出てきたことがある。手紙には、『久我ヨシコ(又は良子)、50代、70年代に革命のため佐渡から朝鮮に来た。主人は交通事故で亡くなった、26歳の娘がいて結婚している』と日本語で書いてあった。拉致されて来たのか、自ら進んで来たのか分らない。『革命のために』と書けば、見つかっても咎められないと考えたのではないか」

地村富貴恵さんが見つけた手紙にあった、「久我ヨシコ」の名前。女優の久我美子さんの名前を使ったものとみられ、「我」と「ヨシ」の字が重なることから、曽我ミヨシさんが書いたものではないかとみる説もあります。

地村富貴恵さんは、手紙を見つけたのは1980年と証言。その頃、ミヨシさんは48歳くらい。ひとみさんは21歳くらい。手紙の情報と年齢にズレはありますが、佐渡という地名などが重なります。

しかし、その後は北朝鮮とミヨシさんについての情報を確認する機会がなく、ミヨシさんが北朝鮮のどこにいるのか確認できないまま20年が経過しています。