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「私は北朝鮮の政治工作員です」「本当のことをお話しします」幹部工作員が心を開くまで ある取調官の機転【日向事件――ただ1人“完全自供”した北朝鮮幹部工作員 #4】

2022年10月15日 12:00
「私は北朝鮮の政治工作員です」「本当のことをお話しします」幹部工作員が心を開くまで ある取調官の機転【日向事件――ただ1人“完全自供”した北朝鮮幹部工作員 #4】
逮捕された幹部工作員が口を開くまで ある取調官の半年

北朝鮮による拉致事件の被害者5人が帰国してから10月15日で20年になる。しかし、まだ帰国を果たせていない拉致被害者は政府認定だけでも12人。この20年間で拉致問題の解決に向けた大きな進展はないというのが実情だ。

また、戦後、北朝鮮の工作員が日本に出入国を繰り返していたことが分かっているが、その多くは実態が解明できていない。北朝鮮の工作員は当時、日本でいったい何をしていたのか。

日本テレビが独自入手した500ページを超える極秘捜査資料には、日本に潜入し41年前に逮捕された北朝鮮工作員の活動の実態が、工作員の供述とともに事細かに記されていた。webオリジナル連載「日向事件――ただ1人“完全自供”した北朝鮮幹部工作員」 では、その極秘捜査資料からわかった当時の工作活動の実態を、5回に分けて明らかにしていく。 第4回は、彼と正面から向き合ったある取調官の半年に及ぶ取り調べの全容に迫る。

■「背中を流して、体を拭いてやって」…幹部工作員が心を開くまで

北朝鮮による工作活動の実態を供述した幹部工作員(当時62)の男。男はなぜ全てを自供したのか。そこには取調室で幹部工作員と正面から向き合った、ある取調官の存在があった。朝鮮語が話せることから任命された、大迫禮三取調官(当時、「禮」は正しくはネ扁)は、当時をこう振り返る。

大迫さん「これがスパイかなと思った。それくらい老けていた。ひげも伸び放題だし。だからおかしいな、これがスパイかなという感じがしましたね」

逮捕された直後、男は衰弱しており、頬はやせこけ、ひげは伸び放題だった。健康診断では「左半身軽度麻痺」という結果。男の体調は極限状態にあった。

警察の留置場に入れられた男。夜になると、独房で一人、失禁を繰り返したという。見かねた大迫取調官は男を警察署の風呂に入れ、背中を流してやったという。

大迫さん「風呂に入って、(工作員が)頭を下げているから、心配するなと。あなたがちゃんと元気になるように日本の警察は見てやるから。だから、そのかわり本当のことを教えてくれよと言いながら背中を流して、体を拭いてやってですね。男は『コマッソー コマッソー』と言っていました。(朝鮮語で)ありがとうということです」

男は徐々に心を開くようになったが、取り調べでは曖昧な供述を繰り返したという。取り調べは難航を極めた。しかし、あるきっかけから、その後の捜査の行方を大きく左右する転機が訪れた。大迫取調官が朝鮮社会に風習として残る「義兄弟の契り」をしてみせたとき、男の態度が変わったという。

大迫さん「ここ(手首の掌側)にちょんちょんと針で刺して、血を出して手首を絡めるわけですね。これが義兄弟の印ですね。血と血を交えましたと。それを見て本人が『大迫さん、こんなことまで知っているんですか』と」

懐かしい祖国の風習に触れた男は、こう続けたという。

大迫さん「こうやって手を握って『大迫さん、今から本当のことを話しますよ』と。(私が)君の子どもに話すような気持ちで話してくれと言ったら、『はい』といって、(全部)しゃべったんですよ」

■「これ以上面倒はかけられないので、本当のことをお話しします」

「私は、朝鮮民主主義人民共和国から祖国統一のために送り込まれた政治工作員です。任務半ばで逮捕されたことは残念だが、死んでも悔いはない。ただ、肉親のように世話をしてくれた日本の警察の人たちにこれ以上面倒はかけられないので、本当のことをお話しします」(捜査資料より)

男は北朝鮮の工作員だった。大迫取調官は、大事に保管していた当時のメモ書きを見せてくれた。

大迫さん「当時、私が取調べのときに取ったメモですね。本人が書いてくれましたよ」

メモには直筆の工作員としての名前と指紋がはっきりと残っていた。さらに工作員が使う隠語も明かしていた。「逮捕」という言葉は「危篤」と言い換え、内容を悟られないようにしていたという。工作活動の実態は徐々に明らかにされていった。

メモには「たばこ」という走り書きもあった。男がタバコを欲しがり、日本語で書いたという。大迫取調官は自分のタバコを分けてやり、一緒に吸うことで、2人の距離はさらに縮まっていったという。現場の警察官が懸命にまとめ上げた極秘捜査資料。この資料は、事件から1年後に警察庁にも送られたという。

■“帰国”した工作員「今度は一緒に酒でも飲もう」

2002年に行われた日朝首脳会談。ここで、北朝鮮の最高指導者が初めて拉致を認めた。その前年の2001年には、引き揚げた不審船を初めて工作船と断定した。

しかし、この「日向事件」の極秘捜査資料から、日本はその20年以上も前にすでに北朝鮮が行っていた工作活動の実態を把握していたことがわかる。

当時、この事件の捜査指揮を執ったのは日向警察署の元署長、山口聡さんだった。山口さんのもとには、当時海岸で人がいなくなるという情報も届いていたという。

山口さん「日本各地で人がいなくなる事案が数件あることも(当時から)聞いていた。言っていいかわからないが、北朝鮮(の犯行)じゃなかろうかということは、当時は大体わかっておりました」

そして、逮捕された工作員はその後の捜査で幹部工作員だったことがわかっている。日本での工作活動を認めたにもかかわらず、1年6か月の実刑判決で服役後、北朝鮮に帰っていた。幹部工作員は、大迫取調官にこう言い残している。

「今度日本に来るときはお金をたくさん持ってくるから。女をはべらせて一緒に酒でも飲もう」

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特設サイト:#拉致を知る あなたの人生に“拉致”があったら――

URL:https://news.ntv.co.jp/special/rachi

ある日、あなたや家族が忽然と姿を消してしまったらー。にわかに信じがたい出来事が、1970年代から80年代を中心に日本で相次ぎました。北朝鮮による拉致。当時、日本で何が起きていたのか。2002年に拉致被害者5人が帰国しましたが、その後20年たった今も、異国の地で帰れないでいる人たちがいます。帰国を待つ家族に残された時間はそう長くありません。

このサイトは拉致被害者本人やその家族の身に起きた出来事を、より広く知っていただくために立ち上げました。具体的に理解できるよう、あなたの属性にあわせて拉致被害の経緯を追体験できるようになっています。あなたの人生と照らし合わせて、自分ごととして拉致問題を考える機会になることを願っています。