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【帰国20年】北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんの心の支えだった“妹”横田めぐみさん 【真相】

2022年10月15日 10:00
【帰国20年】北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんの心の支えだった“妹”横田めぐみさん 【真相】

北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんが帰国して15日で20年。曽我さんには、北朝鮮での辛い日々を支え合った、かけがえのない“妹”がいました。拉致された直後、招待所で一緒に暮らした拉致被害者の横田めぐみさんです。帰国から20年でわかった真相とはー

■19歳で拉致…“妹”との出会い

1978年8月12日、母親と一緒に近所の店に買い物に行った帰り道、男3人に突然拉致された曽我ひとみさん。当時19歳でした。袋をかぶせられたまま船に乗せられ、翌日ついた先は北朝鮮でした。

その6日後、曽我さんは連れて行かれた招待所で、かわいらしい女の子に出会います。前年に13歳で拉致された、横田めぐみさんでした。その時の心境について、曽我さんはめぐみさんの母・横田早紀江さんに宛てた手紙でこう記しています。

「初めてめぐみちゃんと会った時、やさしく『こんにちは』と声をかけてくれた。こんなわけのわからない国に妹みたいなかわいいい女の子がいた。それも日本人だ。一人ではないと感じた時、涙が出る位嬉しかった事を思い出します。」

■北朝鮮での辛い毎日…唯一の支え

北朝鮮に着いたばかりの曽我さんに、やさしく朝鮮語を教えてくれためぐみさん。普段は指導員から朝鮮語で会話するように言われていましたが、2人は指導員の目を盗んで、こっそりと日本語で話していたといいます。

「日本人なのにと二人共思ってはいたものの、言うことを聞くしかなかった。でも、二人でいられる事だけでも嬉しかった。もみじやふるさとをうたったものでした。」

時には、布団の中で小さな声で家族の話をすることもあったといいます。

「私のお母さんはね、いつも香水をつけていて、とってもいいにおいがするんだよ。」と、めぐみさんは誇らしいような切ないような表情で話していたといいます。

大好きな家族から引き離され、突然北朝鮮という国に閉じ込められた2人。その辛く悲しい日々の中でも、2人にはほんの少しだけ心が温まる時間もあったといいます。

「ある日、おばさんがアイスクリームを作ってくれた。とてもおいしかった。あまりにおいしすぎて、二人で機械に指を入れて、きれいになめた。赤いサイダー、黄色のサイダーの取り合いをしたりもした。初めて服を作りに行った。めぐみちゃんは花がらのワンピース。私はブラウスとスカートを作った。靴も買った。めぐみちゃんは茶色、私はグレー。」

■大物工作員の男「めぐみさんを拉致したのは俺」

しかし、2人は数か月後に移った招待所(住居)で、めぐみさんの運命を狂わせたとされる、北朝鮮の大物工作員・辛光洙(シン・ガンス)容疑者に出会うことになります。

「シン・ガンスとの生活が始まりました。シン・ガンスはめぐみちゃんに、数学、理科を教えていました。日本語でめぐみちゃんはまじめに習っていました。中学生だったので義務教育だけは習わせないとなと(シン・ガンスが)言っていました。」

そして、辛光洙は曽我さんに「めぐみさんを拉致したのは俺だ」と告白したといいます。
曽我さんとめぐみさんは、1980年6月までの間、万景台(マンギョンデ)招待所で2回、別の平壌市内の招待所で1回、共同生活を送りました。

■別れ…思い出の品を“姉”へ

しかし、姉妹のように支え合って生きてきた2人に別れが訪れます。曽我さんが北朝鮮に亡命していた元アメリカ兵のジェンキンスさんと結婚することになり、招待所を出ることになったのです。めぐみさんは、拉致された時に持っていた大切な日本の思い出の品を、曽我さんに贈ったといいます。

「めぐみちゃんが持っていた赤いカバン。最後に別れる時、私にくれたのです。私が結婚してからも、名前の所に紙をはり、ずっと大切に使っていました。店に行く時は必ず持って行きました。どこかでめぐみちゃんの目にとまれば、会えるかもしれないと思い、いつも持って行っていましたが、会う事はできませんでした。とても淋しいです。でも、このカバンと一緒にいつもいつも一緒にいる気持ちでした。いまもその気持ちはかわりありません。」

■動き出す運命「めぐみさんは帰れるかわからない」

そして1981年6月頃、百貨店の顔見知りの店員から、「平壌の中心部にいる」と書かれためぐみさんから預かったという手紙を渡されたのを最後に、2人の接点は途切れました。

2002年9月、史上初の日朝首脳会談が行われ、北朝鮮は横田めぐみさんや曽我さんらの拉致を認め、謝罪しました。

北朝鮮側に「日本に帰国できる」と聞いた曽我さんは、めぐみさんも帰れると信じて疑わず、帰国する拉致被害者が集められた時、その場に5人しかおらず、めぐみさんがいないことに驚いたといいます。

そして、関係者によりますと、曽我さんは自分を担当する指導員に「横田めぐみさんは日本に帰れるんですか?」と聞いたところ、指導員が「わからない」と答えていたことが、新たにわかりました。

そして翌月、曽我さんは24年ぶりに日本に帰ってきました。“自分だけ帰国して良いのだろうか”という罪悪感を抱えながらー。

2002年10月15日に曽我さんを含む5人が帰国して以降、誰一人として拉致被害者は帰国を果たせていません。

2014年、日本と北朝鮮の間でストックホルム合意が結ばれ、拉致被害者などについて全面調査を行うことが約束されました。めぐみさんらの消息がもたらされ帰国につながるのか、曽我さんも期待しましたが、何の動きもないまま北朝鮮の調査委員会は2年後に解体されました。

関係者によりますと、拉致被害者の田中実さんと、特定失踪者の金田龍光さんの生存情報に関して、北朝鮮が非公式に日本側に提案。しかし、「2人を一時帰国させることで、拉致問題全体の幕引きを狙っている」との警戒感から、日本側が拒否したということです。

こうしてその後は具体的な進展がないまま、日朝首脳会談から20年が経過しています。

ミサイルの発射を繰り返すなど、強硬姿勢が続く北朝鮮。

曽我さんは、「絶対にめぐみちゃんは帰って来ます。」と、"妹"の帰りを待ち続けています。

(日本テレビ報道局社会部 拉致問題担当 加納美也子)