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戦後80年 広島・長崎で二重被爆した被爆者 「離れたい…」北海道へ渡った被爆者も それぞれの思い【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】

2025年3月28日 17:04
戦後80年 広島・長崎で二重被爆した被爆者 「離れたい…」北海道へ渡った被爆者も それぞれの思い【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】

被爆者健康手帳を持つ人は、2024年時点、全国におよそ10万6000人います。遠く離れた東北や北海道に移り住んだ被爆者の思いをお伝えします。

広島からおよそ1000キロ離れた青森県青森市に住む、被爆者の1人・福井絹代さん(94)は、亡き夫のふるさとの青森で暮らして、70年になります。福井さんは14歳の時、広島と長崎で二度被爆しました。左耳が聞こえなくなるなど、原爆による後遺症をかかえています。

■福井絹代さん
「何で二度も、私こういう怖い思いしなきゃなんないんだろうって必死でしたね。」

福井さんは時折、地元の若者らに被爆体験を語っています。

■福井絹代さん
「バーっと光ってものすごい光で、見た瞬間にぺっちゃんこ。私が(家の)下敷きになったのを、弟が引っ張り出してくれて、助かったんですけどね。」

父親の仕事の都合で、地元の長崎から広島に移り住んできました。その後、父は出征。残された2歳下の弟とともに被爆しました。

■福井絹代さん
「想像つかないでしょ、あなたがた。人と馬がね、道幅いっぱいに倒れてるの踏んで歩いたなんてね。」

弟の国義さんが残した被爆の体験記は、100枚を超えます。

■福井絹代さん
「この人、よく勇気出して描いたなと思いましたね。普通では、恐ろしいと思ったら、描けるもんじゃないですよね。」

■体験記より(一部抜粋)
「雷鳴のような音がして、数秒後に、晴天だったのが急に夜のように暗くなり、グワ…と物凄い熱風が吹き付けてきた。とうとう俺ん家に爆弾が落ちたかと思う間もなく、体がぶあっと浮き上った。」

爆心地から1.8キロの千田町の自宅で被爆した2人は、広島市内を必死で逃げ回りました。

■体験記より(一部抜粋)
「この黒焦げの死体を越えなければ、先に進めない。もう気が狂いそうなので、姉の手を引き、がくがくする足で、死体をまたいで先へと急ぐ。髪の毛が逆立ちするくらいの恐ろしさだった。」

■福井絹代さん
「とにかく悲惨だったですよ。たまに夢見て、足の裏の感触がね…」

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