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東日本大震災11年 羽生結弦“今”の思い「これからも僕ができることを」

2022年3月11日 10:00
東日本大震災11年 羽生結弦“今”の思い「これからも僕ができることを」

羽生結弦選手は11年前、宮城県仙台市で被災し、避難生活を送りました。ソチ・平昌での五輪連覇で被災地に笑顔をもたらした羽生選手。前人未到の4回転アクセルへの挑戦にも復興への思いを重ねていました。羽生選手から「news every.」に届いた“今”の思いとは。

■羽生選手から届いた“今”の思い

震災から11年。羽生選手から「news every.」に”今”の思いが届きました。

「改めて、今までの11年間、何ができてきたのだろうかと考えています。自分にできることは限りがありますし、ずっと被災地のことに思いを馳せながらも、その地に土足で踏み入ってはいけないのではないかと思う日々もありました。今もまだ、その気持ちが消えることはありません。これからもさらに、僕ができることをしていきたいなと思っています」

■2011年3月11日

11年前のあの日。当時16歳だった羽生結弦選手は、故郷の宮城県仙台市で震災に遭いました。津波の被害は免れたものの、自宅は後に全壊と判定。家族と避難生活を送りました。

「不安だったし 怖かったし すごい余震も起きていた」

避難所での生活をこう振り返った羽生選手。ライフラインは寸断し、わずかな炊き出しを家族と分け合って食べる日々。スケートのことは考えないようにしていたといいます。

「僕はもうスケートやらなくていいから、おいしいご飯とかお風呂とかがまず戻ったらいいなと思っていました」

■スケート再開“葛藤”

そんな思いを抱える中、羽生選手は、震災後ほどなく、他の地域で練習を再開することが出来ました。当時、既に将来を期待されていた国内有数のトップ選手だったのです。

しかし、この状況が羽生選手を苦しめました。

「被災地にまだいる人たちに対して、『本当に申し訳ないな』って思いました。自分のスケートのために、自分だけが逃れていて、本当にいいのかなと思いました」

スケートを続けることに負い目すら感じていました。

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