愛子さま4月就職へ…貴重映像! 皇族方の様々な“就職先”~電話受ける姿や“社食カレー”も 【皇室a Moment】
愛子さまが4月1日から日本赤十字社の嘱託職員となることが宮内庁から発表されました。これまでも多くの皇族方が民間の職に就き、有給で働かれてきました。日本テレビ客員解説員の井上茂男さんと皇族方の“就職先”について振り返ります。
一つの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。今回はこちらです。
■4月から日本赤十字社の嘱託職員になる愛子さま
――天皇ご一家の慰霊の場面でしょうか。
はい。去年10月、日本赤十字社の企画展をご一家で視察し、3人で殉職した職員の慰霊碑に白ユリを供えられたシーンです。
先月の22日、宮内庁は、この春、学習院大学文学部を卒業する愛子さまが、日本赤十字社の嘱託職員に内定されたと発表しました。きっとご一家で訪問されたこの映像の頃には、就職の話が、進んでいたのだろうと思います。
――きょうは、井上さんとともに愛子さまの就職内定をきっかけに、皇族方の“就職”について振り返っていきたいと思います。
――井上さん、愛子さまは、去年のこの慰霊の後も、日本赤十字社を訪問されていたんですよね。
はい、今月1日、愛子さまは日本赤十字社の本社を内定者として訪問されました。10月以来の訪問で、車で入るときには、窓を開けて職員の人々に会釈をされていました。
――やはり、私たちと同じように内定者としてのいろいろな事務手続きもあるんでしょうね。
そうでしょうね。4月1日から嘱託職員となって、週に何日か仕事をされますが、公務と両立できるようにというお考えもあっての「嘱託」だそうです。
愛子さまは、成年の記者会見でもボランティア活動への関心を語られていましたが、就職内定後、次のようにコメントを発表されています。
愛子さまのコメント:「日ごろから関心を寄せている日赤の仕事に携われることをうれしく思うと同時に身の引き締まる思いがいたします」
「これからも様々な学びを続け、一社会人としての自覚を持って仕事に励むことで、微力ではございますが、少しでも人々や社会のお役に立つことができればと考えております」
――思いのこもった力強いお言葉ですね。
「一社会人」という言葉から、仕事に対する気構え、社会の中に入って行こうとされる強い思いを感じました。
――そしてこれまでも日本赤十字社と皇室との関わりも深いですよね。
日本赤十字社は、災害時の救護や医療事業、血液事業など、人を助けるための組織です。
明治時代から皇室との関わりが深く、皇后さまが名誉総裁、常陸宮さまや華子さまをはじめ妃殿下方が名誉副総裁を務めて、「全国赤十字大会」などに出席されています。
――これまで日赤に就職された皇族はいらっしゃるんですか?
いらっしゃいます。三笠宮家の瑶子さまが、かつて常勤の嘱託職員として働かれていました。
■研究所、博物館、ユニセフ協会……女性皇族の様々な“就職先”
瑶子さまに限らず、皇族方の多くが公共性の高い協会や連盟で有給で働かれています。こちらの表をご覧下さい。
――皆さま、様々な分野でお仕事をされているんですね。
天皇家のお子さまの内親王の就職では、紀宮=黒田清子さんの例があります。
こちらが清子さんの初出勤の時の画像です。清子さんは、学習院大学卒業後、1992(平成4)年、山階鳥類研究所の非常勤の研究助手となり、週2日通って標本や文献の整理などを手伝いました。天皇家の内親王の就職は、清子さんが初めてでした。清子さんといえば、愛子さまが皇室行事で身につけるティアラを借りられた叔母さまです。
1998(平成10)年には非常勤研究員となり、カワセミの生態調査などの仕事をされ、結婚を機に退職しました。この映像の場面は2005(平成17)年ですが、私も取材しておりまして、私たちのように、首から職員証をかけていたのが印象に残っています。
――私たちと同じ姿で働かれているんだなと思いました。天皇家の内親王の就職は初めてだったということですけれど、最初の映像と比べると、ずいぶんと慣れていらっしゃる、社会の中に入って仕事をされていた様子がわかりますね。
そうですね。
一方、宮家の内親王では、秋篠宮家の佳子さまが、2021年5月から全日本ろうあ連盟に非常勤の嘱託職員として働かれています。
また、姉の小室眞子さんも、東京大学総合研究博物館「インターメディアテク」に特任研究員として勤務していました。こちらは2017(平成29)年に上皇ご夫妻が博物館を訪問されたときに案内している様子です。
先ほども紹介しましたが、三笠宮家の寛仁さまの二女、瑶子さまは、愛子さまが就職される日本赤十字社の嘱託職員として2006(平成18)年から2012(平成24)年まで働かれていました。女性皇族が「常勤」で勤務されるのは瑶子さまが初めてでした。日赤の青少年・ボランティア課でボランティアの普及、育成活動などの仕事に携わられました。週5日、電車で朝6時には出勤して、コピー用紙の補充など、仕事の準備をされていたそうですから、その姿勢に驚きます。
また、姉の彬子さまは、日本文化のご研究を生かして、京都産業大学日本文化研究所の特別教授など“教職”に就かれています。
高円宮家の長女の承子さまは、2013(平成25)年4月から、ユニセフ(国連児童基金)の国内委員会「日本ユニセフ協会」の常勤の嘱託職員として勤務されています。
――皆さまいろんなジャンルでご活躍で、同じ女性としてもすごく刺激を受けますし、愛子さまが日赤でどんな分野を担当されるのか楽しみですね。
■卒業・中退して結婚した昭和時代
平成以降の女性皇族は働かれていますが、昭和時代まではそうではありませんでした。昭和天皇には成人に達した内親王が4人いますが、皆さん学習院を卒業・中退後に結婚し、就職しませんでした。今では“死語”でしょうが、学業を終えると“花嫁修業”をして、結婚しています。その中で、例外的な存在が、5女の清宮(すがのみや)=島津貴子さんです。
貴子さんは、結婚後、東京のホテルにあった高級服飾店に週に3日勤務してアドバイザーとして働きました。当時の新聞には、宮内庁幹部の「いくら皇族の身分から離れられたといっても、天皇陛下のお嬢さん。私企業だと宣伝に使われるおそれもあって好ましくないが……」というコメントが載っています。貴子さんはそれに対して「宮内庁からおしかりを受けてもかまいません。仕事はやります」と強い思いを話されています。
――当時を振り返ってみますと、女性が働くこと自体があまり多くない時代でしたので、そういった点で貴子さんもチャレンジされたということですね。
――女性皇族の就職をみてきましたが、男性皇族の方でも就職した方はいらっしゃいますか?
はい。
■男性皇族も就職 電話受ける貴重映像も
こちらは上皇さまの弟の常陸宮さまが、華子さまに見送られ、朝、宮邸から出勤される貴重な映像です。30年前、日本テレビが特別に密着取材したものですが、常陸宮さまは公務の傍ら、癌研究会癌研究所(現・がん研究会がん研究所)の客員研究員として長年勤められました。
研究所では「比較腫瘍学」の研究に取り組み、このときはカエルのがんについて研究されているところでした。研究所のミーティングでは同僚と並んでディスカッションを行われる様子も見ることができます。そして同僚のスタッフと、病院の付属の食堂でお昼をとられ、お気に入りのメニューはカレーだったそうです。
久能:「殿下がこの研究所で研究を始められてもう何年ぐらい?」
常陸宮さま:「もう20、そうですね、もう20年以上になってますね。23年ぐらい」
久能:「いかがでございますか?この研究所の雰囲気は」
常陸宮さま:「非常に楽しく研究させていただいてます。先生方の御指導を受けながら、そして、協力してくださる実験を手伝ってくれる、テクニシャンの方々、そういった皆さんの、研究っていうのは、おかげだと思っています」
――貴重なインタビュー映像ですね。やはりお好きなこととか熱心に取り組まれていることをお仕事にされている表情はすごく明るいですし、素敵な表情でいらっしゃいますね。
皇族という感じがしませんよね。
――お見送りのシーンなんかも本当に私たちと同じなんだなという感じがしました。
そして、私が勤務先で直接お目にかかったのは、亡くなられた高円宮さまです。
こちらも日本テレビの大変貴重な映像です。高円宮さまがちょうど朝、ご自宅から通勤される様子です。
高円宮さまは、1981(昭和56)年から2002(平成14)年に亡くなるまで、国際的な文化交流などにあたる国際交流基金の嘱託職員として勤務されていました。自らハンドルを握って、およそ10分ほどの距離にある職場まで自動車で通勤されていました。
総務部総務課で講演会の企画などに携わり、海外への出張などもありました。
NA:(ここで拝見する仕事熱心なお姿は普通のサラリーマンとなんら変わりません)
高円宮さま:「ちょっとお待ちください」
NA:(ただ一方で海外ご訪問やご視察といったご公務も年々お忙しくなってきました)
高円宮さま:「まあ公務を第一にしますのでね。特に今年はかなりどうもいろいろな用事があったもんですから、あまり出勤状況はよくないんですけどもね」
――出勤状況も気にされていて、本当に私たちと同じようにサラリーマンとして働かれていたんだなということがよく伝わってきますね。びっくりしました。
そしてワイシャツの腕まくりも。
――気合いが入っていらっしゃいますね。私たちも会社で見ている名前の行き先ボードがあったりとか。
1989(平成元)年、私が皇室を担当し始めた時に、国際交流基金にご挨拶にうかがったことがありますが、普通の方との面会という感じで応接室に通され、帰りは高円宮さまが応接室のドアを自ら開けて見送ってくださったことを思い出します。
――貴重な経験ですね。
三笠宮家の3兄弟は、長男の寬仁さまは札幌五輪冬季大会組織委員会の事務局などに勤められ、
二男の桂宮さまもNHKの嘱託職員として事業部でイベント運営などの仕事をされました。
――皆さま働かれていたんですね。
三笠宮家の三兄弟は、皆さん皇族であることを意識させないよう、「三笠」「高円」という名字を名乗って、周囲からは「三笠さん」「高円さん」と呼ばれていたそうです。名誉職だけでなく、自ら国民の第一線に入って行こうという強い思いを感じます。
――高円宮さまの腕まくりの様子からもわかるように、公務を果たしながら、一般の社会人生活も送られ両立されてきた様子がわかりますね。
さっき映像で机の上にワードプロセッサーが映っていました。今ではパソコンが普通ですが、その前、ちょうどワープロが普及し始めた頃で、相当熟達されて表作りなどもお手のものだったと聞いています。
――仕事の合間に練習されたり、努力もされたということですよね。
■愛子さま 天皇家の内親王では初めての“事務職”へ
改めてみてみますと皆さまのご活躍がありますから、春からの愛子さまが、どういう社会人生活も送られるのかも楽しみですね。
愛子さまの日本赤十字社への就職は、天皇家の内親王が、皇族でありながら「研究職」でなく「事務職」に就かれる点で初めてです。これから本格化する公務に支障がないよう「嘱託」での就職となりますが、社会のために真摯に取り組まれていくと思います。
お母さまの皇后さまも、外務省に6年ほど勤務されましたので、仕事の取り組みについてはいろいろ助言をされるだろうと思います。
これは私の推測ですが、愛子さまの日赤への就職は、一時的なものではなく、一生の仕事として、人を助ける仕事を選ばれたのではないかなと思います。学生生活は、コロナでキャンパスライフがほとんどなかったわけですが、今後ご自分の思い定めた道を真っ直ぐ進んでいただけたらいいなと願います。日赤の赤いジャンパーを着て仕事をされている姿を見る日も、そう遠くないだろうなと思っています。
――天皇皇后両陛下という、まさに社会の中に入って行くという思いをもたれているご夫妻の下で育てられましたから、やはり愛子さまご自身が現場で活躍する日というのを私も楽しみにしたいですし、女性皇族の人数が減っている中で愛子さまのご活躍を私たちも刺激を受けながら見守りたいなと思いました。
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)