【戦後80年】人知れず忘れ去られる「戦争遺構」 高校生の調査で“隠された飛行場”が徐々に明らかに… 「話を聞く最後の世代」次世代に繋ぐ思い

80年前、周囲に知られないよう秘密裏に作られた飛行場が岐阜県関市にありました。当時を知る人が減るなか隠されてきた歴史を紐解くのは地域の高校生たち。原動力は“危機感”でした。
1934年に完成した全長1.1キロの伊勢大橋。街の発展を支えてきました。
完成を記念した花火大会はいまも続いていて、地域の歴史を語る上ではなくてはならない存在です。
しかし…。
桑名市郷土史家 西羽さん(88):
「鉄だからさびてボロボロになる。新しい橋ができる」
老朽化による架け替え工事が進められ、解体される計画です。橋の保存を呼びかける西羽さんは危機感を募らせています。
桑名市郷土史家 西羽さん(88):「(戦争があった)物的証拠として、こういうものは残しておきたい。そうでないともう…忘れてしまう」
消えていく戦争遺構。愛知にある305件の遺構のうち、25件は老朽化などで消滅(去年2月現在)。
案内しているのは戦後生まれのガイド。
かつて豊川市内に18人いた戦争の実体験を伝える“語り部”。しかし、当時を語れる人は減り、いまは体験談の朗読会に替わっていました。
戦渦の記憶を直接聞く機会が失われるなか、教訓を次の世代にどう繋いでいくのか。
こうした課題に対して、新たな取り組みが岐阜県関市で進められています。
集まっていたのは地元の高校生や大学生たち。そこへ戦前生まれの住民たちが終戦直前に見た“あるもの”を教えてくれました。
間宮喬さん(88):
「滑走路は約1000メートル。昔の飛行機は小さかった。今の旅客機のような大きいものではないから(滑走路は)1000メートルあれば十分だった」
この場所にあったというのが"関飛行場"。本土決戦に備えて秘密裏に造られた"秘匿飛行場"でした。
住民の目撃証言などによると、田畑や住宅が広がるこの場所に1本の滑走路があったといいます。
全長約1キロ、幅50メートルほどだったとされる滑走路。戦闘機が飛び立つ様子が目撃されています。
山内康誠さん(21):
「管制塔みたいなものが建つ予定だったとか、こうなる予定だったみたいなことはあったんですか?」
間宮喬さん(88):
「そういう設計図も何もない。これから造る予定だったかもしれん」
高校生のときからこの秘匿飛行場の調査を続けている大学生の山内康誠さん。
山内さん(21):
「このグラウンドでは小学生の時にサッカークラブでサッカーをしていて、思い出のある場所なので、飛行場があったというのが驚いた」
住民の証言を元に見つけた戦争遺構。
山内さん(21):
「ここは関飛行場の司令部。飛行場の統括をしていたり、作戦などを練っていただろうと思われる。途中までは素掘りだが、奥はコンクリートでしっかりと覆われている。ここまで堅固なつくりなので、特別な何かではないだろうかと」
高校の地域研究部のメンバーで地下壕を調べてきました。記録がほとんど残っていない戦争の痕跡が徐々に明らかになっていったのです。
そして活動は毎年後輩へと引き継がれ、4年間に渡り調べ続けています。
この日の調査は飛行場が襲撃されたときに備えて掘られた、"塹壕(ざんごう)"とみられる跡。
スマートフォンを使って、塹壕を3Dで記録。最新の技術を駆使して当時の痕跡を残していきます。
関高校 地域研究部顧問 林直樹 教諭:
「健闘している。撮り方から自分たちで工夫してやっている。こういうものをしっかり残すことに義務感を感じると言ってくれる。やっぱり感じるんじゃないですかね。遺構が崩れていくところを見たり、地域住民の証言がいつまで伝わってくるか、不安があったりとか」
戦争の記録を残しこれを多くの人に知ってもらいたい。高校生たちは関市や近隣の自治体職員などに“秘匿飛行場”の活用方法を提案しました。
地域研究部の学生:
「関市・美濃加茂市・坂祝町に渡る遺跡群について調査発信して、より多くの人に知ってもらうために“フィールドミュージアム構想”を提案します」
「構想案の1つ目として、飛行場周辺を歩けるウオーキングコースを提案します」
「飛行場に関する遺跡がある場所に解説を書いた看板を設置して、スマホで読み込むことで、3D化された塹壕や地下壕が見られるようにする。これにより危険なことをせずに塹壕や地下壕を見ることが可能になる」
自分たちの理想をプレゼンしていきますが、足りない部分には指摘が入ります。
岐阜大学 橋本操 准教授:
「ウオーキングコースを提案してくれているが時代の順番と回る順番が時間軸と合っているのかが気になった」
関市文化財保護センター 森島一貴さん:
「もう少し地形の話、遺跡がどういう所にあるのか、飛行場がある所がどういう所なのか、自然地形まで入れると、参加者が「あー」と思えるのかなと」
今まで気づかなかったことを発見できた高校生たち。
これまでの活動を発信する機会がやってきました。3月9日。この日集まった約60人の地域住民に対し調査を続けてきた高校生が案内役をつとめます。
関高校 地域研究部顧問 林直樹 教諭:
「みなさんの前で説明するが緊張すると思う。頑張ってやると思うので、どうぞ聞いてあげて」
かつてこの場所にあった“秘匿飛行場”。高校生が知られざる滑走路や地下壕の実態に迫ってきました。
言葉に詰まりながらも懸命に説明する1年生。他にも、塹壕や飛行場跡など調査してわかった情報を地域の人たちに伝えていきます。
地域研究部・1年生:
「敵からここが飛行場だと分からないように隠す必要があった。雑草の種を植えて草地にしたり、地域の人に関牧場だと教えて、偽装していたと考えられる」
80年という時の流れで人知れず忘れ去られようとしていた戦争遺構。高校生が発信したことで参加者に変化が。
参加者:
「あんなに立派に話しているのはビックリした。(私は)戦争に対して目をつぶっていた感じがしていた。反省しなくてはいけないかなと思いはじめた」
「戦時中の遺構があるなんて知らなかった。未来に戦争の遺跡があったというのをしっかり残してほしい。(次世代に)そういう歴史も知ってもらえれば」
活動の原動力は「今やらなければ」という"危機感"です。
地域研究部・1年生:
「現地の人に話を聞くのは最後の代ぐらいになってくる。引き継いで後に残すという役目をしっかり果たしていきたい」