「柊太くんのためにも力強く生きてほしい」 女子バスケ・髙田真希選手がプレーに込めたメッセージ 「ウエスト症候群」の息子を持つ母の涙
女子バスケ・髙田真希選手の試合を熱心に見ている1人の女性がいました。彼女は髙田選手の15年来のファンであり、難病の息子を一人で育ててきた母親です。そんな彼女に、髙田選手はプレーを通して伝えたいことがありました。
髙田選手が「ウエスト症候群」の少年と交わした約束
17日、愛知県刈谷市で行われた女子バスケットボールの国内リーグ最終戦で熱いプレーを見せた、日本代表・髙田真希選手(デンソーアイリス所属)。そんな髙田選手を、特別な思いで見守る女性がいました。髙田選手の15年来のファン、竹邊八千子さんです。この日は髙田選手の試合を観戦するために熊本から駆けつけました。
現役アスリートながら、社会貢献活動を続けている髙田選手は、去年7月、活動の一環として熊本市内でマルシェを開催。熊本を選んだ理由は、竹邊さんからもらったファンレターにありました。
竹邊さんのファンレター:
『何度も入退院を繰り返し、手術や治療も頑張り、地域の支援学校に通えるまで成長してくれました。髙田選手の試合での姿やコメントにパワーをもらいました』
この手紙を読んで、髙田選手は「竹邊さんや柊太くんに会うために熊本での開催を決めた」といいます。
竹邊さんの息子・柊太くんには、「ウエスト症候群」という、てんかんが主な症状の障害がありました。「点頭てんかん」とも呼ばれる難病です。柊太くんが生まれた直後に離婚した竹邊さんは、看護師をしながら女手ひとつで育ててきました。
熊本市のマルシェで、髙田選手は柊太くんと対面。髙田選手が話しかけると柊太くんは嬉しそうな笑顔を見せました。そして、髙田選手は柊太くんの手を握り「また応援してね。たくさんシュート決めるからね」と約束を交わしていたのです。
この時、竹邊さんは、愛知県で開催される3月の試合を柊太くんと一緒に観に行くと伝えていました。しかし、今回名古屋にやってきたのは、竹邊さん1人…。
実は柊太くん、昨年11月末にインフルエンザを患うと、突然 病状が悪化。15歳を前にして、天国へと旅立っていったのです。
髙田選手に亡くなったことを伝えると、『柊太くんに出会えたことは、私の人生にとって意味があることだ』と返信がありました。
竹邊八千子さん:
「落ち込んだ時、気持ちが下がった時に髙田選手のメッセージを見ると、頑張ろうって、私も頑張ろうって思う」
柊太くんが亡くなった後、髙田選手からのメッセージを心の支えにしながら、竹邊さんは今日まで必死に生きてきたのです。
「あの時、会えて良かった」 髙田選手と対面し涙する母…
満員となった17日のリーグ最終戦。柊太くんの子育て中は、熊本を離れられなかった竹邊さん。実に15年ぶりの生観戦です。チケットは、髙田選手からのプレゼントでした。
「見せてあげたかった。この雰囲気を味あわせてあげたかったな」と話す竹邊さんのヒザの上にはクマのぬいぐるみが。しかも、柊太くんが髙田選手に会った時の思い出の服を着ています。この日のために竹邊さんがリメイクしたものでした。心の中では、柊太くんと一緒です。
そんな竹邊さんに、髙田選手は試合を通して伝えたい思いがありました。それは…。
髙田真希選手:
「積極的に攻めるところ守るところを見せたい。力強く柊太くんのために生きてほしいというメッセージを込めて、自分らしいプレーをしたい」
いよいよ試合が始まりました。髙田選手は、ゴール下で得意のリバウンドを奪うと、竹邊さんへのメッセージを込めて、攻撃でも積極的なプレーを続けます。
そんな髙田選手の姿に、背中を押されたという竹邊さん。夢のような時間は、あっという間に過ぎていきました。チームも見事、リーグ最終戦を勝利で締めくくりました。
試合終了後、髙田選手は竹邊さんのもとへ。思い出の服を着たクマのぬいぐるみを見ると、笑顔がこぼれます。一方、竹邊さんは髙田選手の姿を見た途端、堪えていた涙が溢れ出しました。
髙田選手「お母さん、元気ですか?」
竹邊さん「満員の会場を柊太に見せたかった。それは叶わなかったけど、姿は変わっても、髙田選手に会えて良かった」
髙田選手「会えて良かったです、あの時に」
竹邊さん「柊太が11月にお空に帰ってから頑張れなかった時期もあったけれど、あの時、会えたのが良かった」
髙田選手「どうでしたか? 久しぶりの試合」
竹邊さん「めちゃくちゃ感動した。15年ぶり」
髙田選手「また(柊太くんと)一緒に来て下さい」
髙田選手と話すうちに、笑顔を取り戻していった竹邊さん。「柊太くんのためにも力強く生きてほしい」という髙田選手の思いは、しっかりと伝わっているようです。