脳神経外科のスゴ腕ドクターは“元ヤン少女”!「髪は剃らない」手術スタイルで患者の心に寄り添う
その腕と人情味あふれる人柄で“姉御”と後輩たちに慕われる、脳神経外科医の榎本由貴子さん。病院では“スゴ腕ドクター”、家では“一児の母”としてアグレッシブルな日々を過ごす榎本さんには、“元ヤン少女”という意外な過去があった。
岐阜大学医学部附属病院にドクターヘリで脳卒中の急患が運び込まれた。検査の結果、重症のクモ膜下出血と判明。緊急手術が行われた。
「これ延長持ってきて、ルート(点滴の管)の!」
一刻を争う緊急手術、緊迫した空気が流れる手術室で執刀する傍ら、迅速な指示で先陣を切る女性医師がいた。脳神経外科医の榎本由貴子さんだ。
榎本さんが執刀したのは、血管内治療と呼ばれる緊急手術。カテーテルを血管に挿入、出血したところまですすめ再び出血しないよう止血する難易度の高い手術だ。手術は無事終了し、患者はリハビリを経て半年後に退院。後遺症も軽く、日々の生活を取り戻していった。
岐阜大学医学部附属病院では、“ハイブリッド手術室”という、「外科手術」とカテーテル等を使う「血管内治療」の両方を、一度に行える最先端の設備を去年より導入。榎本さんは、その両方を行うことができる、数少ない“名医”なのだ。
その腕前に同僚も大きな信頼を寄せている。榎本さんの手術を見ることが多い男性医師は、「毎回良いものを見せてもらったな、という手術ばかりです。“憧れ”もあるし、(榎本さん自身が)手術もお上手なので「それを見て!」と背中で引っ張っていく感じがすごい分かる。僕より男前です」と笑顔で話す。
一児の母でもある榎本さん。家に帰れば、母の顔だ。「尊敬するのは、人の命を救っているところ」と、榎本さんの尊敬する部分を語る息子・貫汰さん。続けて、「直して欲しいのは時間にルーズなところ」と母のちょっぴりズボラな一面を明かした。
「学生、うるせー!うるさい」と榎本さんのドスのきいた声が、手術室に響きわたった。手術を見学していた実習生たちの“話し声”を注意したものだった。例え学生であっても、医師を目指す者ならば、技術だけでなく、医師としての心構えもしっかりと伝える。どんな相手とも真正面から真摯に向き合う榎本さんを、同僚たちは「姉貴肌、姉御のような存在」と慕っている。
なぜ、榎本さんは医師を目指そうと思ったのか。そこには、“友人の死”が関係していた。
ヤンキー時代について、「(高校)入学して1週間くらいですぐに停学になって、1か月くらいで退学に。悪の限りを尽くしました」と苦笑いを浮かべながら語る榎本さん。外見は茶髪にパーマ、夜な夜なバイクで走る日々だったという。そんなある日、友人をバイク事故で命を失った。病院で医師から見せられたのは、亡くなった友人の頭蓋骨がバキバキに折れている写真。
「(医師から)「お前らな、こういうことをやっているとな!」とすごく怒られて、それを強烈に覚えています。後から思うと大きい影響があったかなと思う」と、当時を振り返る。友人の死と医師からの喝を機に、命と向き合った榎本さん。その姿勢が、“人の命を救える医師になりたい”という思いにつながっていった。
医師を目指し、通信制の高校に入学。猛勉強の末、21歳の時に岐阜大学医学部に合格した。“死ぬ気で勉強しまくっていた”という高校時代。1日3時間寝る以外の時間は、すべて勉強に費やしていたという。
あれから30年、“ヤンキー少女”は、患者からも仲間からも信頼される医師へと成長を遂げた。
今年10月、榎本さんが手術を担当する患者、仙石建斗さんが訪れた。今年5月に脳出血で倒れ、一時は意識不明となった仙石さん。幸い一命をとりとめたが、脳出血の原因は「もやもや病」と診断された。もやもや病とは、脳の血流不足を補おうと、細い血管が煙のように“もやもや”現れることから、その名がついた難病。榎本さん曰く「もう一回出血を起こすと、障害が残ったり、命を失うこともある」という。
実は榎本さん、もやもや病の治療も経験豊富。仙石さんは、その評判を聞きつけ、なんと長崎からやってきたのだ。仙石さんには、印象に残っている榎本さんの“ある言葉”があった。それは、「髪の毛を剃らない。傷が見えちゃうから伸ばした方がいいよ」という手術前のアドバイス。脳の手術では、髪の毛は視野の妨げになるため、剃ることがスタンダードだ。
“髪の毛を剃らないで手術をする”こと、これは榎本さんのポリシーだ。「緊急の患者さんじゃない限り、剃らない。手術が終わって、普通の日常生活に戻れる、という願いも込めて一切剃らないです」と話す。患者の日常を取り戻すための手術。榎本さんのポリシーには、患者の明るい未来を信じる決意と“人を救う”という医師としての覚悟が滲んでいた。
仙石さんの手術は無事成功、1か月後にはビールで乾杯するほど回復していた。榎本さんの手術によって、取り戻した日常。さらに彼女にプロポーズをしてOKをもらうなど、新しい人生が始まろうとしていた。
榎本さんには医師を目指した頃から、変わらない信念があった。それは、患者さんにとって“近い存在になること”だ。「子どもの患者だったら、近所のおばさんみたいな。ご年配の患者だったら、子どもとか。そういう目線から、ものを言ってあげられるような、近い存在でいたいと思っています」と語る。一番やりがいを感じるときは、やはり患者さんが良くなったときだ。
「脳卒中を診療してると、麻痺だった患者さんがワッと手が動いたり、意識が悪かった患者さんが歩いて帰ったり。そういう時は非常に喜びはひとしおです」
命と向き合い、日常を大切にする。
“ヤンキー少女”だったスーパードクターは、今日も患者と向き合い続ける。