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御嶽山噴火から9年 命を救われた山小屋で登山者を見守る男たち その思いとは…

2023年9月27日 19:45
御嶽山噴火から9年 命を救われた山小屋で登山者を見守る男たち その思いとは…

御嶽山噴火から9年。58人が亡くなり、今もなお5人が行方不明だ。今年7月に一部の通行規制が解除され、活気を取り戻し始めた御嶽山。噴火当時、登山者50人の命を救った山小屋「二ノ池山荘」にも多くの登山者が訪れる。変わりゆく山の景色と登山者たちを、“噴火の記憶を知る者”として見守る男たちの姿を追った。

“生き延びた”登山者、年月を重ねて変化した山との関わり方

“今日は少ない方です”と話しながらも、大きな荷物を背負い御嶽山を登る黒須康弘さん。噴火当日、御嶽山で登山をしていた一人だ。向かったのは、山小屋「二ノ池山荘」。噴火当時に逃げ込み、命を救われた山小屋だ。噴火後は、毎年御嶽山に献花に訪れ、山小屋にお礼に訪れていたという黒須さん。その想いは年数を重ねるごとに形をかえ、なんと去年から「二ノ池山荘」の食事や掃除などを手伝うまで発展。その理由について黒須さんは、「(噴火の翌年は)御嶽山に登ると色んな想いが湧いてきて、涙が出てきたし、恐怖もあった。でも、御嶽山もどんどん変わってきている。多くの方が安全に楽しく御嶽山に来てくれるお手伝いをしたいと思った」と語る。そんな黒須さんを“心強い存在”と話すのは、山小屋支配人・小寺祐介さん。噴火当時、登山者を山小屋へ誘導し、命を救った人物だ。この日も、「二ノ池山荘」は登山者で満室。食事処には、小寺さんこだわりの白米と黒須さんが盛り付けした料理が並ぶ。水の沸点が低くなる山頂で白米を炊くのは至難の業だが、宿泊客達からは「すごくおいしい」と人気を集めている。

ライチョウの姿も!? 活気を取り戻す自然豊かな御嶽山

今年7月下旬、噴火以来続いていた一部の通行規制が解除。登山者を“受け入れる側”となった黒須さんは、「今年は王滝口(規制解除ルート)からも山頂にいけるようになって、一気に人が増えた。昔の活気が戻ってきて、やっぱり嬉しい」と山の変化に喜びをみせた。岐阜市から来たという家族は、「涼しくて景色も綺麗。空気もおいしいし、本当に来て良かった」と御嶽山の豊かな自然を体感。続けて、「いろんな方が努力して、(規制を)解除して下さったのでありがたい」と感謝の気持ちを述べた。たくさんの人が山を楽しむなか、貴重な出会いも。「あ、いた!いたいたいた!」と声を高める黒須さんの視線の先にいたのは、特別天然記念物のライチョウ。運が良ければ、見られる日もあるそうだ。

山岳事故、軽装登山者の増加「噴火の記憶を伝えていきたい」

山に活気が戻る一方、山岳事故の件数も増え始めている。規制解除区域につながるルートを通った登山者の数は、去年の9月までに比べて約7倍に増加。噴火当時の教訓を活かし、規制が解除された区域には噴火時に逃げ込めるよう2基のシェルターを設置。また、登山道の石や枕木などを整備、頂上まで直通のルートを制限するなど、増加する登山者の安全を確保する取り組みが多くみられる。しかし、登山道のパトロールを担う「御嶽山パトロール員」の正澤功さんは、登山者の“ある点”も問題視している。それは、登山者たちの“軽装化”だ。正澤さん曰く、「スニーカーに短パン、手ぶら。何も持たない人も多いし、裸足で来る人もいる」など、十分な備えをしないまま、軽い気持ちで登る人も多いのだ。正澤さんは噴火当時の噴石を眺めながら、「初めて来るお客さんは噴火のことを知らないから、こういうのを噴石だと思っていない。“噴火の記憶”を伝えていくことが、私たちの課題だ」と語った。噴火を機に山小屋の手伝いを始めた黒須さんも、「これを一つの縁として、一生関わっていくと思います」と、“生き残った登山者”としての決意を滲ませた。

戦後最悪の火山被害となった御嶽山の噴火。登山者一人ひとりが“噴火の記憶”と向き合い、二度と同じことが起こらないよう行動し続けることが、本当の“再出発”へと繋がるのだ。

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