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【密着】ウクライナ避難民「日本を離れる」決断を下した理由とは?中京テレビ記者が密着した2年3ヶ月におよぶ“奮闘の日々”、侵攻に翻弄され続ける家族の思い

2024年9月24日 17:55
【密着】ウクライナ避難民「日本を離れる」決断を下した理由とは?中京テレビ記者が密着した2年3ヶ月におよぶ“奮闘の日々”、侵攻に翻弄され続ける家族の思い

「別れは悲しいけど、次に動かなければいけません」

今年7月、名古屋市で避難生活を送る、ウクライナ人家族が“日本を離れる”ことを決断しました。戦闘が長期化するなか、なぜ家族はそのような決断を下したのでしょうか。2年3ヶ月におよぶ密着取材、侵攻に翻弄され続ける家族の姿を追いました。

2年前にウクライナから避難、名古屋市で生活

ウクライナから避難してきたオレーナ・デルカッチさん。2年前、家族と共に愛知県で暮らし始めました。

中京テレビ「キャッチ!」とオレーナさん家族が出会ったのは、2年前の6月。オレーナさんは、日本人の支援を受けて、夫・ヴァレリさんと3人の娘と日本に避難してきました。

暮らしていたのは、ウクライナ第二の都市・ハルキウ。そこにはいつも子どもたちの笑顔がありました。しかし、ロシアによる侵攻によって、街は崩壊。美しかった街は、炎と煙に包まれました。

突如奪われた、当たり前の日常。変わりゆく街の様子に、「ハルキウが壊されていくのを見るのがとてもつらい。それがいつ終わるのかわかりません」とオレーナさんは悲しい表情を浮かべました。

うつむいた“ひまわりの絵”、心に募る不安

日本に避難しても、ウクライナへの思いを忘れたことはありません。去年4月、オレーナさんは、ウクライナの象徴・ひまわりを描いていました。「ひまわりを描くのが好きなんです。故郷を思い出させてくれるから」と筆をすすめる彼女。油絵を描くアーティストとして活動していたオレーナさんは、ひまわりを描くことで故郷に思いを馳せます。

しかし、完成した絵に描かれた“ひまわり”は、こうべをたれ、濁った空の下でうつむいたまま。「今日は別の形のひまわりを描きたかったんだけど、なぜかできませんでした。このひまわりと同じように私たち、ウクライナ人も揺れているんです」と、オレーナさんはうつむきながら心境を明かしました。

避難してまもなく、学校に通い始めた子どもたちも不安でいっぱい。小学校の教室で、国語の授業を受ける三女・エリザベータさん。授業中、その手は止まったまま。言葉の壁に阻まれ、友達の輪に入ることができません。

それでも、前に進むしかありません。オレーナさんは、母国で培ったスキルを生かしてネイルサロンでネイリストとして活動、夫・ヴァレリさんも家具店で働き始めました。「3人の子どもを養うためにも働く必要があります。言葉もわからないのに雇ってくれて、本当に感謝しています。失望させないように頑張ります」と、ヴァレリさんは感謝を述べました。

子どもたちに変化「学校がおもしろい」

去年4月、オレーナさんに“アーティスト”としてのチャンスが舞い込みました。日本で出会った友人のすすめで、愛知県安城市で個展を開催することができたのです。作品はすべて避難生活の中で描いたもの。

それぞれの作品には、オレーナさんが絵に込めたメッセージが添えられました。花や故郷の景色などが描かれた作品の数々。そこには、ウクライナ侵攻に対するオレーナさんの心境が表現されていました。

「このろうそくの絵が特に好きです」と、来場者が指を指したのは、火がともされたろうそくの絵。「人には消せない心の光がある、というところが素敵だなと思いました」と、来場者はオレーナさんのメッセージを見ながら答えました。

今年2月。日本で暮らし始めて1年8か月が経ち、子どもたちにも変化が。部屋でピアノを弾く三女・エリザベータさん。ピアノは学校の音楽の時間で教えてもらったといいます。日本語が上手くなったことを褒めると、「ありがとう」と嬉しそうに答えてくれました。

初めて日本に来たときについて、「おもしろくなかった」と振り返るエリザベータさん。しかし、「今はおもしろい」と笑顔で学校での日々を話します。

二女・アルビナさんが見せてくれたのは、たくさんの折り鶴。“ある願い”を叶えたくて、1,000羽も折ったといいます。その願いについて、「牛乳アレルギーをなくして欲しい」と明かしました。

「別れは悲しい」日本を離れる理由

今年7月。再びオレーナさんの自宅を訪ねると、部屋には大きなスーツケースが並んでいました。

「まずはヨーロッパで暮らします。夫の収入がもう少しよければ、日本を離れなかったと思います」と話すオレーナさん。続けて、夫・ヴァレリさんが「行くしかありません。子どもたちは成長しているし、大学にも行かせないと」と答えます。

経済面の不安から、日本を離れ、仕事を見つけやすいヨーロッパで、暮らす決断をしたのです。

「支援金がもうすぐ終わるんです。自分たちだけで暮らしていくのは、難しいです」と決断の理由を明かしたオレーナさん。日本の暮らしで頼りにしていたのは、避難民のための支援金。1年間で300万円ほど受け取っていましたが、期限が3年のため来年で終わってしまうのです。

支援を行う日本財団によると、これまでに約2,000人の避難民が支援を利用。しかし、オレーナさんたちと同じように、避難先を転々とせざるを得ない人もいるといいます。

「今もウクライナで暮らす両親も、ヨーロッパへ連れて行きたい」と話し、「ウクライナに行って両親に会い、一緒に避難するよう説得します。両親が住む町では、毎日嵐のようなことが起きていて、とても危ないから」と、オレーナさんは両親への思いを語りました。

2年半ぶりに戻るウクライナ。長女・オレクサンドラさんは「うれしい」と話し、二女・アルビナさんは「一番辛いのは友達と別れること。でも、今は戻りたい。ウクライナが好きだから」と故郷へ思いを語りました。

新たな国へ避難「日本が心を癒やしてくれた」

先月29日、日本を出る1週間前。名古屋市のウクライナ料理店『ジート』にて、オレーナさんの日本で最後の個展が開かれました。飾られたのは、咲き誇るたくさんのひまわりの絵。

絵に込めた想いについて、オレーナさんは「ウクライナの明るくて、綺麗な部分を残していきたいと思って描きました。日本に来たばかりの時は、私は精神的に辛く苦しかった。でも、日本が私の心を癒やしてくれました」と話しました。

初めて、下を向くことなく描かれたひまわり。名古屋での避難生活が終わり、この先始まるのは、新たな国での避難生活です。

今月5日、出国の日に立ち寄った東京。最後に日本の景色を目に焼き付けます。「東京は高いビルが多くておもしろい!」と楽しそうに話す、三女・エリザベータさん。オレーナさんは「どうしてもっといろんな所に行かなかったんだろう。富士山にも行けていない」と日本での生活を振り返り、夫・ヴァレリさんは「また、旅行者として戻ってきたいです」と話しました。

生きることに必死だった日本での生活。オレーナさんは「良いときもあったし、つらいときもありました。でもいつも面白かったです」と話し、夫・ヴァレリさんは「日本で出会ったすべての人に感謝します」と話したあと、「"どうもありがとうございます"」と、日本語で感謝の言葉を口にしました。

別れのとき。空港で密着取材を担当してきた記者と抱き合い、最後の挨拶を交わしたオレーナさんたち。記者に最後まで手を振り、搭乗口へと向かっていきました。

オレーナさんたちは願い続けます。戦闘が終わったウクライナで、咲き誇るひまわりを見ることを。

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