×

【解説】1941年に開始した津波予報は“三陸沿岸”だけ、なぜ?甚大な津波被害を経験する度に技術開発続け、警報発表の「迅速化」を実現 気象庁

2023年6月26日 22:10
【解説】1941年に開始した津波予報は“三陸沿岸”だけ、なぜ?甚大な津波被害を経験する度に技術開発続け、警報発表の「迅速化」を実現 気象庁
1941年から開始した「津波予報」。当時、予報の対象は三陸沿岸に限られていました。その理由とは?度重なる津波被害を経験する度に気象庁は予測技術の開発・改善に取り組んできました。大津波警報を発表した巨大地震の事例、そして地震発生後約3分で津波情報を発表できるまでに至った取り組みを社会部災害担当・内藤ミカ記者が解説します。【週刊地震ニュース

■震度1以上の地震は45回 北海道や沖縄で最大震度3

6月19日から25日までの期間、国内で震度1以上の地震は45回ありました。

▼19日午前1時58分頃、宮崎県宮崎市と日南市で震度3を観測する地震がありました。震源は大隅半島東方沖で地震の規模を示すマグニチュードは4.7、震源の深さは28キロでした。

▼19日午後1時50分頃、北海道浦河町などで震度3の地震がありました。震源は十勝地方南部、マグニチュードは5.0、震源の深さは59キロでした。

▼20日午後8時10分頃、長野県大町市で震度3の地震がありました。震源は長野県北部、マグニチュードは4.0、震源の深さは1キロでした。

▼22日午前10時24分頃、沖縄県名護市や沖縄市などで震度3の地震がありました。震源は沖縄本島近海、マグニチュードは5.2、震源の深さは39キロでした。

▼22日午後4時39分頃、青森県東通村で震度3の地震がありました。震源は青森県東方沖、マグニチュードは4.1、震源の深さは55キロでした。

▼24日午前9時58分頃、福島県大熊町で震度3の地震がありました。震源は福島県沖、マグニチュードは5.0、震源の深さは40キロでした。

■まもなく夏本番 海水浴場で津波警報を伝える「津波フラッグ」

「津波フラッグ」と呼ばれる赤白模様の旗、「津波警報」などが出ていることを知らせるものです。2020年以降、全国の海水浴場で少しずつ導入されています。

海では、波や風によって、サイレンの音が聞き取りにくく、特に耳が不自由な人にとっては、目で見える形で危険を知らせるために、この旗は重要な役割を果たします。「津波フラッグ」が振られているのを見たら、「すぐ逃げる!」「高いところに避難!」ということ覚え、海に行く時はあらかじめ近くの避難場所を確認しておいてください。

■地震発生から約3分で津波警報・注意報を発表

気象庁は地震が発生し、津波のおそれがある場合は地震発生から約3分を目標に津波警報や注意報を発表しています。地震の規模や震源の位置を推定し、沿岸で予想される津波の到達時刻や高さの情報を出しています。

■数多くの“津波シミュレーション”をデータベースに蓄積

気象庁は津波発生の可能性がある断層を設定して、事前に津波の数値シミュレーションを数多く行っています。その結果をデータベースに保存・蓄積しておき、地震発生時には、データベースから地震の位置や規模に対応する予測結果を即座に検索して、津波警報などを迅速に発表しています。

■東北で相次ぐ津波被害――津波予報は「三陸沿岸」からスタート

1896年「明治三陸地震」で発生した津波の高さは最大で38.2メートル。1933年「昭和三陸地震」では最大23.0メートルの津波が発生し、ともに三陸沿岸に甚大な被害をもたらしました。これをきっかけに、当時の仙台地方気象台は津波警報を出す組織をつくることの検討を始めました。そして、1941年から仙台地方気象台が中心となり予報を開始。しかし当時は、過去何度も大きな津波被害を受けてきた東北地方の「三陸沿岸のみ」を対象として予報をスタートしたのです。

■地方単位に区切って津波予報

その後、津波予報は全国に対象を拡大しました。当時、発表に用いられた、「津波予報区」は北海道のオホーツク海側が「1区」、東北地方の太平洋側が「4区」といった具合に、いくつかの県をまとめた「地方単位」で18区に分けられました。この「地方単位」の津波予報区は1999年3月まで使われていました。

■現在 都道府県単位66区

現在は、自治体が防災対応をとりやすいように、おおむね都道府県単位で66区に分けて発表しています。地形・地域によって予想される津波高が大きく異なる場合は、より細かく区切っています。

■1983年日本海中部地震発生から14分で警報発表も、発表前にすでに津波到達――

1953年におきた関東東方沖の地震では、地震発生から津波警報発表までに16分かかりました。40年前の1983年に発生した「日本海中部地震」では、地震発生から14分で警報を発表したものの、震源に近い沿岸部では地震発生の約7分後に津波が襲ってきたといいます。この経験から、気象庁は新たな計算システムを開発し、地震発生から7分での発表を目指しました。その結果、1993年の北海道南西沖地震では地震発生後5分で発表。その後も、時間短縮を目指して技術開発、観測網の整備、緊急地震速報の活用などを行い、現在は地震発生後の約3分で津波警報や注意報を発表します。早い場合には2分での発表も可能になっているということです。

■津波情報を迅速に伝えるため“わかりやすく”簡略化

津波予報が始まった1941年には、「津波警報」を3段階に分けて、それぞれ警報文を発表していました。一番上の3は「只今の地震は大津波を伴う見込みで山の手に避難を要します」と長々とした文言でした。その後、迅速に伝えるために簡略化した表現に変えていきました。

現在の津波情報は「大津波警報」「津波警報」「津波注意報」の3種類に分けられ、津波の高さは5段階に分けられています。

■予測精度と迅速さは「反比例」も開発進め世界最先端に

気象庁のOBで、津波情報の変遷に詳しい環境防災総合政策研究機構の草野富二雄さんは、「予測精度と迅速さは反比例し、迅速さを求めれば精度が落ち、精度を求めれば迅速さに欠けたものとなってしまう。この2つの相反する要件を満たすために、それぞれの時代の関係者によって津波の観測・予測技術の開発、情報の伝え方の改善が図られてきた結果、世界的に最先端となる現在の津波警報発表体制ができた」と話しています。