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【解説】歯に衣着せぬ「石原節」も…石原慎太郎氏の生涯を振り返る

2022年2月1日 19:16
【解説】歯に衣着せぬ「石原節」も…石原慎太郎氏の生涯を振り返る

元東京都知事の石原慎太郎氏が亡くなりました。89歳で亡くなった石原氏の生涯を振り返ります。

■石原氏の生涯を振り返る

1932年、兵庫県神戸市に生まれました。1956年には大学在学中に「太陽の季節」で芥川賞を受賞。太陽族という流行語も生まれました。

政界に進出したのは1968年。参議院全国区に出馬し、史上初の300万票を得てトップ当選しました。その後、衆議院に鞍替えし、環境庁長官や運輸大臣などを歴任しました。

1999年、東京都知事選挙に出馬し、初当選。2012年に辞職するまで13年6か月都知事を務めました。そして同じ年に日本維新の会の代表に就任し、17年ぶりに国政に復帰しました。2014年に政界を引退してからも、精力的に執筆活動を行っていたということです。

議員時代、都知事時代には独自色の強い政策を打ち出しました。

有害物質を出すディーゼル車の規制や東京マラソンの開催も、石原さんが主導となって行われました。新銀行東京の設立、東京オリンピック・パラリンピックの招致などにも取り組みました。

運輸大臣時代には、成田空港に新駅を設置する構想を発表。JR東日本の成田エクスプレスと京成電鉄のスカイライナーの乗り入れが実現することになりました。また、都知事時代には羽田空港の国際化を強く主張し、これも実現に繋がりました。

そして、都知事として最後の日には次のように話していました。

石原慎太郎氏(2012年)
「かなり良い小説を書いた後の解放感と満足感というのかな、そんな感じです」

■歯に衣着せぬ「石原節」も

石原さんといえば、歯に衣着せぬ「石原節」。過激な発言も有名でした。

2016年、現在の小池都知事が女性として初めて都知事に就任した時の都知事選で、石原さんが推していた候補者は敗北しましたが、その後も、折に触れて舌戦を繰り広げていました。

石原慎太郎氏(2016年)
「大年増の厚化粧がいるからな。私はあの人うそつきだと思いますね」

東京都・小池知事(2016年)
「厚化粧はダメで薄化粧だったらいいんですか。そういう問題でしょうか」

石原さんといえば、中国に対しても厳しい態度をみせた政治家でした。

中でも、中国が領有権を主張する尖閣諸島をめぐっては、都知事だった石原さんが、当時、私有地だった尖閣諸島を東京都が買い取る意思を示したことで、国が国有化へと動きました。

■「話し始めるとサービス精神旺盛」

日本テレビ 小西美穂解説委員
「私が以前キャスターを務めていた『深層NEWS』という番組にも何度も出演していただき、インタビューさせていただきました。

当時の記憶ですが、石原さんは厳しいこと仰るんです。けど、いざ話し始めるとサービス精神旺盛で、話がとまらなくなる方でした。一見強面だけど、繊細なところがある人で、核心を突いた質問をすると一瞬違う雰囲気をみせるんですが、丁寧に細やかに答える方でした。当時は尖閣諸島の問題で中国との関係が悪くなっていた時で、石原さんは『中国だけでなく、アメリカに対してもモノをいうべきだ』と繰り返し仰っていました。

作家として『書く』だけでなく、テレビでの出演もよく受けていました。自分の言葉で書いて、話して、発信することを大切にしていた方でした。

私も番組がはじまる前、緊張していてリラックスするために、日焼けをされていた石原さんに『日焼けしているんですか』と聞いたら『ヨットに乗ったんだよね』と仰っていました。また別の回では、すごく綺麗な爪をされていたから聞いてみると、『爪の手入れしている』と仰っていました。そんな一面がある方でした」

■「歴史の十字路に立つことができたのはありがたかった」

石原さんですが、近年は脳梗塞やすい臓がんを患い、闘病したことを明かしていました。

2014年に政界を引退する際、次のような言葉を残しています。

「歴史の十字路に何度か身をさらして立つことができたのは、政治家としても、物書きとしてもありがたかった。言いたいこと言って、やりたいことやって、人から憎まれて死にたいと思います」

(2月1日午後4時30分ごろ放送 news every.「ナゼナニっ?」より)