平安時代から続く渡し船「牛川の渡し」ボロボロで発見 “市民の足”が廃船…なぜ 愛知・豊橋市
愛知県の清流、豊川の両岸を結ぶ渡し船「牛川の渡し」が今月、変わり果てた姿で見つかりました。修復は不可能と判断され、廃船に…。平安時代から続いてきたと言われる伝統の渡し船に何が起きたのでしょうか。
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愛知県豊橋市では、「市電」の愛称で大正時代から親しまれる路面電車が生活に欠かせない存在ですが、実は、豊橋にはもう1つ伝統ある交通手段があります。それが、平安時代から続く渡し船「牛川の渡し」です。
「牛川の渡し」は1000年もの歴史があると言われていて、豊川の両岸、大村町と牛川町をつないでいます。船頭が竹竿(たけざお)で川底を押して進むという全国でも珍しい人力の船で、今は「市道」として豊橋市が無料で運航していて、通学や買い物だけでなく、近年は観光スポットとしても愛されています。
しかし、12日に訪ねてみると、看板には「運航休止」の張り紙があり、川に船も見当たりません。一体何があったのか…船頭の日比章人さんは「雨で船が流されてしまった」と話します。
今月2日、東海地方の各地に被害をもたらした記録的な大雨の影響で、豊川も増水し、係留されていたはずの船が所在不明となってしまったのです。
船頭・日比章人さん
「びっくりしましたね。4年間乗っていた船がなくなったので『えー!』という感じで。みんなを乗せた船がなくなっちゃったので…」
船をつないでいたロープをたぐると、先には流されてきた木の皮や枝が大量に絡まっているだけでした。船はどこへ行ってしまったのでしょうか。
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豊橋市に連絡がきたのは、大雨から2日後のことでした。
豊橋市土木管理課・杉浦伸尚専門員
「『もしかしたら、その船じゃないかな』ということで、田原市の方だと思うんですけど、市役所に電話があって、それで私たちが見に行った」
情報のあった場所は豊川沿いではなく、25キロも離れた田原市の海岸沿いでした。
豊橋市土木管理課・杉浦伸尚専門員
「素人目に見て『修復するのは難しいのかな』という感じでした」
船底はボロボロに…。牛川の渡し船は変わり果てた姿で見つかりました。造船業者にも相談しましたが、修復は不可能と判断され、廃船が決まりました。
船頭・日比章人さん
「船が来ないと、私も困るし利用者も困ると思う。かえってくるかなとは思っていたんですけどね…」
この渡し船は「市道扱い」のため、豊橋市は国に災害復旧事業として申請し、補助金を得て新しい船を作るつもりですが、いつ再開できるかは分かっていません。
豊橋市民からは「かなりショックですね。いち早く復活させてあげたい感じはありますね」という声が聞かれました。
さらに――
豊橋市民
「この辺の集落は近所にお店もないですし、牛川の渡し船で渡って対岸に買い物に行く方が近かったので、(渡し船を)存続する意向で進めるという話なので期待しています」
1000年続いてきたという歴史を、この先もつないでいくために…。船頭は、また船が川に戻るその日を待っています。