「津波の恐ろしさを伝え続ける」父を亡くした男性の13年 東日本大震災
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東日本大震災から13年。
藤井貴彦キャスター
「あの日、金曜日だったんですけど、『news every.』が始まる直前で、放送で流すVTRの下見をしている時に強烈な揺れに襲われまして」
藤井キャスター(2011年3月)
「(上空から被災地を見て)この辺りひとつの町がありましたが、完全になくなりました。建物の3階、4階を見てみますと、ここまで水が浸透して、そこの窓を突き破ったということがわかります」
発災直後、藤井キャスターは宮城県で取材を続けました。多くの人の命が奪われた光景を目の当たりにしました。
藤井キャスター
「最初に到着したのが南三陸町でした。現状がどうなっているのかと、南三陸町の津波に襲われたところを安全管理をしながら中に入っていったんですけど、その時に初めてお会いしたのが西城さんです」
町役場の職員だった西城彰さん(当時59)。
西城彰さん(2011年3月)
「家の中で親父が亡くなった。今これから遺体を持って行く」
津波で命を落とした父を安置所に運ぼうとしている時でした。
西城さんとはこの時以来、震災から1か月、5年、10年と言葉を交わし続けています。
今年も…
藤井キャスター
「西城さん、ご無沙汰しています」
西城さん(72)
「お久しぶりです」
72歳になった西城さん。当時の家があった場所から引っ越し、近くの高台で暮らしています。
藤井キャスター
「13年になりますね。この13年、どんな日々でしたか」
西城さん
「私は震災復興の仕事とか、そういうものをずっと続けてきました。震災では大変なこともいろいろありましたけど、自分が健康に恵まれて13年過ごせてきたので、なんとかやっている」
藤井キャスター
「当時は南三陸町で仕事をしていましたが、今は別のところで働いていらっしゃる」
西城さん
「今は福島県に行っていまして」
今は福島県に通い、防災のため、河川改修工事をしています。
あの日、東北各地を襲った海。南三陸町には10メートルを超える津波が押し寄せ、街をのみ込みました。
何もかもが変わった3月11日。
藤井キャスター
「毎年3月11日がやってきますけど、どんな思いで毎年迎えていますか」
西城さん
「私の同僚もたくさん亡くなりました。親戚も亡くなりました。親父も亡くなったわけですけど、やはり冥福をひたすら祈る、そういう3月11日です」
あの日の経験を当事者だけで終わらせないために西城さんが伝えたいことがありました。
西城さん
「震災遺構を残すとか、映像で津波の恐ろしさを伝える。ずっと続けていく、そこが大事だろうなと。津波を知らない人たちは、それを見て怖いと思うかどうか。そういうものがあると、どうやって体の中に、個人の中にたたき込ませていくか。防災の教訓を残す上で私は一番大事」
伝え続ける…。当時を経験していない子どもたちが通う小学校がある高台に行きました。
藤井キャスター
「2011年の東日本大震災で津波が来なかったエリアの人は、ここにいれば安心と思うかもしれない。高台に逃げると思ってもらい続けるように、私たちも伝え続けないといけない。ひとりでも多くの人が被害に遭わないように、全員の命が守れるように」