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グラフで見る福島第一原発の14年

2025年3月10日 20:00
グラフで見る福島第一原発の14年
水素爆発して鉄骨が露出している1号機原子炉建屋上部

かつて福島第一原発内のあちこちで露出していた津波や水素爆発の痕跡は、その多くが構造物で覆われるなどした。廃炉現場は外見上、穏やかな方向へと変化している。事故直後はどうだったのか、ここに至るまでどう変化してきたのか。この14年間の廃炉現場を、様々なグラフの推移で見てみる。

    ◇◇◇

東京電力福島第一原発事故から間もなく14年。幾度となく取材してきた福島第一原発に、また取材に入った。金属探知機をはじめ、厳重な持ち物検査を受けた上で、いつものように、まず入退域管理棟に入る。

ここは廃炉を進める作業員が防護服や、被ばく線量を測るためのAPDと呼ばれる警報器付き線量計を脱着する場所だ。APDは名刺ほどのサイズ。アルミ製で両面に青いシールが貼ってある。この14年間、全ての作業員が必ずこれを装着して廃炉現場に入った。私もAPDを受けとるとチョッキの左胸ポケットに入れた。心臓付近の被ばく量を測るためだ。

今回構内を案内してくれたのは、東京電力で廃炉について解説する専門職の桑島正樹さん。3.11当時は新潟県の柏崎刈羽原発に勤務していたが、非常事態を受け、翌3月12日には、福島第一原発に応援に入っている。発電所トップである吉田所長が指揮をとっていたのは、放射線の遮蔽機能を備えた、免震重要棟とよばれる特殊な指揮所の2階会議室。

桑島さんは主にその1階の出入り口付近で、原子炉をなんとか冷却しようと決死の作業をしては戻ってくる人たちの汚染レベルを、放射線測定器で測る作業にあたっていた。針が振り切れ、経験したことのない汚染レベルに言葉を失ったという。

通常、原発に従事する作業員の被ばく限度は5年で100ミリシーベルト。年間20ミリシーベルトが目安だが、当時これではすぐに限度を超えてしまった。そのため政府は緊急措置として、年間250ミリシーベルトまで被ばく限度を引き上げている。しかし、これすら超えた人が6人に上った。

事故から14年間、廃炉を進める全ての作業員のポケットで被ばく量を測り続け、時にアラームを鳴らして警告してきた青いAPD。

ちょうど今、新型で樹脂製の白いAPDに切り替え中なのだと、桑島さんが教えてくれた。ただの機器更新と言えばそれまでだが、時の流れを感じた。この14年間で廃炉の現場はどうかわったのか。様々なデータをグラフで見てみる。

■作業員の被ばく線量の変化

事故が発生した2011年の3月、作業員は月平均で32ミリシーベルト被ばくしている。年に換算すると、平常時、一般が浴びてよい量のおよそ400倍だ。その後急激に減少し、去年11月は0.3ミリシーベルト。これは一般と比べて数倍程度である。

今は構内の多くの場所で特別な防護服は不要となり、今回私たちは軽装のまま取材して回った。6時間にわたった取材で被ばく量は0.02ミリシーベルトだった。

このグラフにはないが、事故直後の2年間は一日あたり3000人程度。それが2013年頃から急増する。直面していた難題は、日々発生する大量の汚染水だった。メルトダウンした原子炉建屋に地下水などが流れ込むため発生するのだが、これを入れるための巨大なタンクを日々増設したり、原子炉建屋への地下水の流入を防ごうとする大規模な土木工事などが行われたりして、作業員数は右肩上がりとなる。2015年には一日7000人を超えた。その後緩やかに減少。

2024年には、少量試験的ではあるものの燃料デブリの取り出しが始まっている。デブリ取り出し作業は廃炉の最難関とされるが、関連メーカーの技術要員など、ごく限られた人員で作業するため、作業員数全体に変化は見られていない。

■汚染水の発生量

これまでの14年間、水との闘いの日々だったといっても過言ではない。

2016年9月。汚染水の発生量が一日あたり800トンを超える。福島第一原発内にある最も大型のタンクの容量が1000トンだから、これを一日一個増設しなくてはならない状況だ。構内をタンクが埋め尽くしていく。

この間、汚染水が海に流れ出ないよう、海沿いに鋼鉄製の壁をつくったり、原子炉建屋に地下水が流入し汚染水を増やさないよう、建屋を取り巻くように、地下に氷の壁「凍土遮水壁」をつくったりした。

その後、汚染水の発生量は徐々に減少してはいるが、現在も一日あたり80トン程度発生している。

汚染水を浄化処理した処理水は、2023年8月から海洋放出を開始していて、私たちが取材した時、ちょうど空になったタンクの解体撤去にとりかかるところだった。空いたスペースは今後、デブリ取り出しや廃棄物の管理場所に充てていきたいとしている。

■これからの話

廃炉の最難関と呼ばれる燃料デブリの取り出し。その燃料デブリを始め、放射性物質に様々に汚染された、大量の廃棄物をどこで処分するかなど、今後の方針すら決まっていない課題は山積している。

最後に示すグラフは、これまでのものと異なり、今も増加しつつあるものだ。

このグラフは、福島第一原発を視察におとずれた人の数の推移。コロナ禍で一時大幅に減ったが、全体としてむしろ増える傾向にあり、2023年は年間およそ18000人だった。平日の日数で割ると、一日あたり70人。その内訳を東電は公表していないが、一般の視察希望者を受け入れる態勢はまだ整っていないことを考えると、多くは議員や研究者など、廃炉現場や東電に何らかのツテがある人やその関係者とみられる。

また全体の7パーセントは外国人だそうだ。私が取材した日も、メルトダウンした原子炉建屋がのぞめる高台で、視察者を乗せたバスとすれ違った。

事故から14年、むき出しになっていた津波や水素爆発の傷跡は徐々に構造物で覆われ、水素爆発で露出した骨組みが唯一そのままだった1号機も、この夏にはすっかりカバーに覆われる。廃炉の進捗(しんちょく)とともに、事故による傷痕は見えにくくなってゆく。

福島第一原発で何が起きたのか。特に、この国の次を担う若い世代に伝えていくことが必要だ。このグラフを右肩下がりにしてはならない。

最終更新日:2025年3月10日 22:06