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若い世代が描く“福島の漁業”の未来 東京から移住…17歳の漁師の挑戦

2024年8月20日 18:55
若い世代が描く“福島の漁業”の未来 東京から移住…17歳の漁師の挑戦

福島第一原発で処理水の放出が始まってからまもなく1年です。
放出が始まるとき、県漁連の野﨑会長らは「子々孫々まで漁業が続くことが我々の望み」と話していましたが、その希望がここ福島で芽生えようとしています。
長い年月をかけて続く廃炉と処理水の放出ですが、そんな福島の海で若い漁師たちが夢を追いかけようとしています。

相馬市の松川浦漁港。
港には夜中から漁に出ていた漁船が次々と戻ってきて、新鮮な海の幸が水揚げされます。
威勢の良い漁師に混じって水揚げをするのは「幸喜丸」に乗る原 瑛貴(はら・てるき)さん、17歳。


2023年の春、東京から1人で福島に移り住み、漁師という仕事を始めました。
■原 瑛貴さん(17)
「起きるのは大変ですけど、どのくらい魚が捕れるかわからないので、そこの興奮で起きられる」

原さんが漁師を志したのは小学6年生の時。
2011年の震災と原発事故の後、父親といわき市にボランティアをした時に、地元の漁師に釣りを教えてもらったのがきっかけでした。

■原 瑛貴さん(17)
「SNSでお父さんが漁師をやるにはどうしたらよいかを出して。(相馬市の漁師が)こうしたらできると返してくれて、それで知り合った」

この時期は「カレイ」や「タチウオ」などが水揚げされる松川浦漁港。

漁師になって1年と4か月。この仕事には、熟練の技が求められます。

■原 瑛貴さん(17)
「ベテランの人は何年もやっているからできるが微妙な差があって、そこで少し苦戦しますね」
そんな原さんに仕事を教えるのが船長の高橋一泰さんです。

原発事故のあとは、漁の自粛や出荷制限に追い込まれ、何度も苦しい思いをしてきた福島の漁業。
それだけに「福島で漁師になりたい」という原さんの思いに高橋さんは心を打たれました。

■幸喜丸 高橋 一泰船長(46)
「正直うれしい。東京から来て福島で漁師をやりたいって、どこでもできるのに。一番大変なところに来て、福島の海でやるというのに感激した」

実は、原さんと同じように2023年度、県内の沿岸漁業に新たに就業した人は26人と、統計開始以降で最も多くなりました。
このうち39歳以下の若い世代が8割以上を占めています。

その理由は?
■福島県農林水産部水産課 廣瀬 充 副課長
「近年、漁業者の皆さんが計画的に生産の拡大に取り組んできているということなどですね。操業拡大に向けた機運が高まっているということで、若い人たちにとっても、就業しやすい環境が整ってきているということが考えられます」

県内の沿岸漁業の水揚げ量は震災前の25%ほど、海の復興は道半ばです。
若い漁師の存在は、これからの福島の漁業の追い風になると先輩漁師も期待しています。

■幸喜丸 高橋 一泰船長(46)
「大事に、将来まで頑張ってもらえるように、我々も中堅としてやっていかなとなと思う」

先輩からの教えを受けて一人前の漁師を目指す原さん。
ただ、漁師になってほどなくして直面したのが処理水の海洋放出でした。

■原 瑛貴さん(17)
「処理水は大丈夫みたいな、検査は出ていたが、不安みたいのがあって、やめてほしいという言い方はおかしいが、そういう感じはあった」

科学的に安全とわかっていても海で働く漁師にとって、「トラブルや事故が起きたら…」と不安は尽きません。

それでも。

■原 瑛貴さん(17)
「福島県でやりたいという感じは強くて。ここの船で色々覚えて、ちゃんといい漁師(魚を)いっぱい捕れる漁師になりたい」

30年から40年続くとされる福島第一原発の廃炉を抱えた福島の漁業。

そんななかにあっても若い漁師たちは、復興を信じ、この海で、夢を追いかけようとしています。

    福島中央テレビのニュース