×

広島の高校生「新聞記者」が福島を取材し伝える 東日本大震災から13年

2024年3月11日 19:14
広島の高校生「新聞記者」が福島を取材し伝える 東日本大震災から13年

原発事故の影響などにより今も福島県民2万6000人以上が避難生活を続けるなか、広島の高校新聞部が被災地の現状を取材しました。

広島市西区にあるひろしま避難者の会「アスチカ」。
福島県のご当地グルメ「なみえ焼そば」です。
腕を振るうのは、渡部恵子さん。13年前、福島から移り住みました。

渡部さんの故郷は東京電力福島第一原発から8キロの浪江町です。
放射線汚染の影響を考え、二男が暮らす広島に移りました。

地元では主婦でしたが、家計のためにと、お好み焼き店でアルバイトもしました。
当時、語っていた思い…

■2011年7月 渡部恵子さん
「もう住めないで。広島で頑張っていくしかない」

あれから13年。今もふるさとには帰れません。

■渡部さん
「気持ちはまだ整理がつかない。一番は感謝の気持ちが強い前向きに頑張るしかないよね。」

福島県のご当地グルメ。食べてほしい人たちがいました。

■崇徳高校新聞部 梅次彩葉 部長
「朝ご飯を抜くぐらいすごく楽しみにしていました。」「いただきます。」

避難者の会が招待したのは、崇徳高校新聞部の生徒たちです。

■崇徳高校新聞部 梅次彩葉 部長
「広島の(焼きそば)は麺が細い 。うどんと間違えるぐらい麺が太くておいしいです。」

■渡部恵子さん
「広島に避難してからいろんな人から助けてもらって13年がある。広島の人にまずお礼が言いたいありがとうございます」

新聞部の部員4人は、今年1月、福島を取材しました。

福島第二原発を取材し、原子炉建屋の中にも入りました。
出力を制御する装置がある原子炉の底の部分も見学しました。

■崇徳高校 新聞部 川畑悠成さん
「福島第一原発では、ここに燃料デブリが多く溜まっている。ここに機械が入って、耳かき一杯分取り出すにもこんなに13年という時間を費やしてしまうと想像できてしまう」

海側の地域で目の当たりにしたのは、復興が進んでいない福島の姿でした。

■崇徳高校 新聞部合田 陽さん
「これまで私たちは、広島からしか福島のことを見ることができませんでした。広島からみる福島は、復興庁がアピールするいわゆる復興がすすんでいる福島でした。しかし実際に現地に行ってみると全くと言っていいほど復興がすすんでおらず、13年前から時が止まったままの福島を目にしました。まだまだ空き地が広がる浜通りの光景を見ると、むなしい気持ちでいっぱいでした。」

取材した福島の現状を紙面で紹介しました。

■崇徳高校新聞部 部長 梅次 彩葉さん
「私は今回実際に自分で現地に行ってこの目で見て体験した福島の今の現状を忘れることなく、福島の問題に関して、自分なりの 自分の考えをしっかり持って、これからも考え続けたい」

新聞を渡部さんに手渡しました。

■渡部さん
「(福島の)現状こうなんですねとこれだからもう帰れませんよね住めないよねとわかりますよね。新聞部の人が浪江町 双葉町 大熊町に行ってくれた。復興がぜんぜん進んでいない、それを伝えてくれただけでもうれしい」

■崇徳高校新聞部 部長梅次 彩葉さん
「東日本大震災は私たちの世代は正直覚えていない人が多い。何があったのか現地の人たちはどんな思いでいるのか自分事として考えて欲しかった。考えて欲しいです」

広島の高校生記者が現地に足を運び、取材した被災地の今。記事を通じて、13年がたった今も終わっていない東日本大震災の被害を伝え続けます。
(2024年3月11日放送)

    広島テレビのニュース