【特集】西日本豪雨で犠牲となった亡き友の思いを胸に 「これからも頑張るよ」 二十歳の誓い・広島
先日、各地で開かれた「二十歳を祝う会」。その日を、特別な思いで迎えた人たちがいます。7年前の西日本豪雨で犠牲になった友への思いを胸に、人生の節目を迎えた仲間たちを取材しました。
1月12日、広島県熊野町で「二十歳を祝う会」が開かれました。振り袖やスーツに身を包んだ若者たちからは、笑顔があふれています。
この日、久しぶりに再会した中学時代のサッカー部の仲間たちは、7年前に西日本豪雨で亡くなったチームメートに思いを巡らせていました。
■西屋零さん
「災害があった場所とかも今は回復して、ニュースとかも報道があまりされなくなって、忘れられていくけれど、自分たちはどうしても忘れることができないです。」
■高杉凜生さん
「今も本当だったらこの場にいたのかなと思ったりしたら、ちょっと悲しくなりますね。」
あの日、犠牲になったチームメイト
■土砂災害発生当時のリポート
「山の麓にある川角地区に、大量の土砂が流れ込みました。山から流れてきた土砂が、あたり一面を覆っています。」
2018年7月、大量の土砂が熊野町の大原ハイツをのみこみ、12人が犠牲となりました。土砂で倒壊した家屋に住んでいた上西千恵美さん、中学のサッカー部だった長男の優太さん、二男の健太さんが犠牲になりました。
残された、父の上西美智春(かみにし・みちはる)さん。
■上西美智春さん
「一番は、みんなで元気でいたかったというのが一番で。ずっと思うのは、会いたいですね、会えるなら。会って話して、いろんなところに行ったりとか…できれば一番うれしいですけど。」
あの日、すでに発生していた土石流で道路が寸断されていました。上西さんが外の様子を見に出ていた時、新たな土石流が自宅を直撃したのです。
■上西美智春さん
「あの状態で逃げる勇気もなくて、こうなってしまった。やっぱりみんなでおれるのが、一番よかったかなと思いますけど。」
一緒に年を重ねたかった…
災害から3週間が経った2018年7月26日は、優太さんの14歳の誕生日で、サッカー部の仲間たちとお祝いをするはずでした。
■沖田凌嘉さん
「今までずっと一緒にいたので実感もまだ全然わかないし、どうすればいいか分からないけど。とにかく思うのは、一緒に14歳を迎えられなくて悲しいなということばっかりです。」
■稲田陸さん
「サッカーも勉強も一緒にしてきて、優太の分も背負って、人生生き続けないといけないと思います。」
中学最後の夏。ベンチでは、チームメートが描いた優太さんが笑顔で見守っていました。
色紙に込めたのは「いつまでもみんなは仲間」という思いです。
西日本豪雨から7年が経ち、優太さんの同級生は二十歳になりました。節目には、必ず上西さんのもとを訪ねています。彼らにとっては、優太さんと心を通わす大切な場所です。
上西さんは、サッカー部の試合には欠かさず応援に駆けつけていました。息子と同級生の姿を重ね合わせます。
優太さんへどのような報告をしたのか、聞きました。
■稲田陸さん
「優太と小学校から一緒で、一緒に遊んだ思い出とかを振り返りながら「ここまで大きくなったよ」ということと、自分がどうやって社会で生きていこうかなというのを、優太と一緒に考えたいなと思いました。」
■岸本龍吾さん
「「会いに来たよ」ということと、今日みんなに会ったように、この場所でもう一回「元気にしてるか」というのを聞いたというか。」
■高杉凜生さん
「いままでもずっと見てくれとったと思うので、「これからも頑張るよ」と伝えました。」
■田中辰弥さん
「(優太が)ネガティブなところは見たことなくて、とにかく明るい、笑っているっていうイメージが強かったです。優太も一緒で、成人なので「おめでとう」というのも伝えました。」
これからも優太さんとともに。二十歳の節目を迎えた若者たちが、亡き友の思いを胸にそれぞれの道を歩んでいます。
■上西美智春さん
「それぞれみなさん、目標に向かって頑張ってください。また来てください。」