【特集】「私たちは、同じ人間なのだから」 原爆の憎しみを乗り越えて伝えるメッセージ

原爆投下から79年。生後8か月で被爆し、家族の体験を語り継ぐ女性がいます。『憎むべきは戦争を起こす心の悪。』原爆を落としたアメリカ兵との出会いで憎しみを乗り越えた被爆者が訴えるメッセージです。
あの日起こった出来事と、投下後の家族の体験談
講演会で英語で語りかける被爆者の近藤紘子(こんどう・こうこ)さん、79歳です。話すのは79年前、広島で起きた出来事。そして、その後の家族の物語です。
■近藤紘子さん
「とにかくもう戦争は、駄目。同じ人間なのに…私からすれば、そういう気持ちがすごく大きいですね。」
1945年8月6日。爆撃機B29「エノラ・ゲイ」。広島の上空から、人類初の原子爆弾を投下します。当時、生後8か月の乳児だった近藤さんは、爆心地から1.1キロにある広島流川教会の施設で母親に抱かれたまま、家の下敷きになりました。
■近藤紘子さん
「母は天井からいろんなものが落ちてきたから、頭を打ってるから、ちょっと意識がもうろうとしてる。」
当たり一面が壊滅的な被害を受ける中、近藤さん母子は、奇跡的に一命をとりとめます。
近藤さんの父親は、広島流川教会で牧師をしていた谷本清さんです。
■谷本清さん
「私どもは戦争したんだから町が焼かれるのは仕方ない。けれども子供が親を失ったと言うことに対しては全アメリカ人は責任を感じなきゃならない。」
被爆の惨状と平和の尊さをアメリカで訴え、原爆孤児の支援など、被爆者の救済に半生をささげました。
教会には、多くの原爆孤児たちが集まりました。近藤さんはそこで、火傷の跡を目の当たりにします。
■近藤紘子さん
「お姉さんの中にもうまぶたが額にひっついたままとか、唇はこう顎にひっついたまま。たった一つの爆弾が広島に落ちて、こういう体になったという話をお互いにしてるのを聞いて、「わかった。悪いのは、あの原爆落とした飛行機に乗ってた人たち。あの人たちさえ落とさなければ。」絶対見つけ出して、パンチするか、噛み付くかて蹴飛ばすか、絶対して敵を討つ。」