安政南海地震の記憶が刻まれた「そろばん」津波に流され見つかったのは牟岐町の田んぼの中【徳島】
大阪にある「大垣そろばん資料館」にあったのは...
大阪府豊中市の住宅街、ここに大垣そろばん資料館があります。
(大垣そろばん資料館 大垣憲造館長(79歳))
「大津の名工である、一里塚庄兵衛という方が作られたそろばんなんです。ご覧のように箱もそろばんも、100年前のそろばんとは思えないぐらい美しくて」
館内には、館長の大垣憲造さんが集めた1500丁を超えるそろばんがずらりと並びます。
(大垣そろばん資料館 大垣憲造館長(79歳))
「これが『安政南海地震』の津波で流されたそろばんです」
(一楽泰志記者)
「すごい大きいですね」
(大垣そろばん資料館 大垣憲造館長(79歳))
「大きいですね。長さが60cm、重さが2.5kgやったかな、かなり重たいんですよ、これがね。そういうそろばんで、よくぞ津波に生き残ってくれたなと思っております」
安政南海地震
(一楽泰志記者)
「『安政南海地震』って、どんな地震だったんですか」
(徳島県立文書館 徳野隆主席(64歳))
「ご承知のように、いわゆる南海トラフ地震の一つとして幕末に発生した地震ですね。流失家屋や焼失家屋ともに数千軒を超えていますし、死者は150人くらいだったそうですけれども、それでも甚大な被害だったと思いますよ」
「安政南海地震」の記録は、体験者の手によってしっかりと書き記されてます。
「徳島内町焼け 小松島焼け」
「土地一円震り裂け 土砂・水を吹き出し 鯨の潮吹くごとく」
そして徳島県南部では、約7mの津波が押し寄せたとの記述が。
現在の海陽町宍喰地区では。
「男7人 流死」
(徳島県立文書館 徳野隆主席(64歳))
「未曾有の大災害じゃないですか。それに遭遇した人たちが自分が体験したものを『これは書き残さなければいけない。そしてそれは何十年か、あるいは百年のうちに同じことが起こるであろう。そのときの子孫のための教訓として残さなければいけない』、そういう風な想いでいろんな人たちが記録を残しています。そしてそれが今に伝わっていますね」