総力取材!「くまもと この1年」歩み続ける被災地の今
シリーズでお伝えする「くまもと この1年」。1回目は、被災地の復興を振り返ります。
熊本地震から7年
【熊本地震犠牲者追悼式】(4月14日・県庁)
関連死も含めて、273人が亡くなった熊本地震から7年。
■遺族代表・冨永真由美さん
「たとえ何年経とうとも、この悲しみが尽きることはありませんが、悲しくとも挫けず前に進めば、その歩みは御霊に守られるでしょう」
【新庁舎完成 益城町・宇土市】
震度7の地震に2度襲われた益城町。被災前と同じ場所に被災した再建された新庁舎が完成。“町の拠点”が戻ってきました。
新たな“拠点”は宇土市でも。震度6強の揺れで壊滅的な被害を受けた庁舎が立て直されました。地震の教訓をいかし、益城町と同じく免震構造が採用されました。
【阿蘇復興(東海大学・南阿蘇鉄道))
地震の教訓といえば…。農学部の学生など約1000人が通っていた旧東海大学阿蘇キャンパス。
■福田淳記者
「講義棟1階にある事務室です。部屋の真ん中には大きな亀裂が入っていて、地震の衝撃の大きさを物語っています」
7月14日、地震の記憶と記録を後世に残す、震災ミュージアム「KIOKU」として生まれ変わりました。
■熊本県 蒲島郁夫知事
「ぜひみなさんもこの施設を訪ねて、熊本県民であれば、記憶の中に自分の経験を織り込みながら、施設を見ていただきたい」
線路が寸断するなど全線運休を余儀なくされた南阿蘇鉄道。7月15日、7年3か月ぶりに全線での運転再開を果たしました。
■沿線住民
「列車の音が聞こえると安心します。いつも列車の音で目覚めるのが習慣だった」
地震の被害から復旧を果たした山都町の通潤橋。9月、国宝に指定。橋や水路などの土木構造物では、全国初の快挙となりました。
■鹿児島から
「造りが精巧で、この時代までしっかり残っているのがすばらしいと思いました」
【熊本城 宇土櫓の内部公開】
一方、国の重要文化財、熊本城宇土櫓。
■熊本城総合事務所 田代純一さん
「宇土櫓の中に入りたいと思います。こちらが宇土櫓の1階です」
来年1月から始まる本格的な解体を前に、10月、地震後初めて内部が公開されました。はがれた漆喰の壁や床は被災直後のまま。全て解体し、耐震補強を施した上、組み直すことになりました。
解体されるのは、1927年以来96年ぶり。元の姿に戻るのは2032年度の予定です。
熊本豪雨から3年
【鎮魂の祈り】(7月)
7月4日。熊本豪雨で25人が亡くなった球磨村で、犠牲になった人を追悼する式典が行われました。死者・行方不明者69人を出した熊本豪雨から3年。各地で犠牲者を追悼しました。
【コンテナマルシェ閉鎖】(1月)
各地で復興も進んでいます。仮設商店街「人吉復興コンテナマルシェ」。被災し、入居していた11事業者の多くが元の場所などで事業を再開。一定の役割を果たしたとして閉鎖しました。
■鮮魚店の「魚・場貝」(さかなばっかい) 岩見道彦さん
「本当ありがたい空間をいただけたなと思っている。ここで出会えた奇跡を、今後どんどんつなげていきたいと思っています」
【くま川鉄道の復旧は】
人吉・球磨の“生活の足”くま川鉄道。熊本豪雨でシンボルの第四橋梁や線路が流失し、人吉温泉駅と肥後西村駅の間の約6キロが今も運休しています。
現在の復旧状況について、永江友二社長に尋ねました。
■くま川鉄道 永江友二社長
「今回400メートル強の第四橋梁を千葉県の工場で作っていて、1つ目のトラス橋、2つ目のトラス橋が出来ている状況です」
現在、復旧に向けて千葉県の工場で組み立てているという第四橋梁。性能の検査などを終えれば、いったん解体し、被災した元の場所に設置するということです。
■くま川鉄道 永江友二社長
「今回のくま川鉄道再開のシンボルでもあり、この人吉球磨においての復興のシンボルにもなり得るような橋だと感じた」
全線再開は2025年の予定。着実に歩みを進めています。