「煙で真っ暗な闇に放水」国内デパート火災史上最悪の惨事で消火活動 元消防士が語る教訓
■熊本市消防局元消防士 内田平十郎さん
「12月に近づくと、やっぱりもう何年だっていう感じで」
熊本市消防局の元消防士内田平十郎さん(73)。23歳のとき大洋デパートの火災現場で消火活動にあたりました。今から50年前の1973年、11月29日の午後。熊本市消防局に119番通報が。
(午後1時23分頃)「大洋が火事です」
熊本市中心部の下通沿いにあった9階建ての大洋デパート。2階と3階を結ぶ避難階段の踊り場付近から出火し、炎や煙は、瞬く間に上の階へ燃え広がりました。非番だった内田さんは火災と知り、急いで現場へ。足場を上って5階から建物に入り、消火活動にあたりました。
■熊本市消防局元消防士 内田平十郎さん
「煙だらけ。もう真っ暗で、何も見えない。ただ闇に向かって放水するだけ」
当時、店内には約1200人の客や従業員が。命がけの消火活動と救助が続きました。
■熊本市消防局元消防士 内田平十郎さん
「バスタオルを頭に巻いて。その頃、空気呼吸器なんか1つの車両に1機しかなかった。隊長か放水長が被るもの。あとはこれで煙を防ぎながら」(腕で口をふさぐしぐさ)
火は約8時間後に消えましたが、104人が犠牲となりました。死因の多くは一酸化炭素中毒。被害が拡大した理由として、スプリンクラーの工事が完了していなかったことや、防火シャッターが作動しなかったことが指摘されています。
この火災などを教訓に、翌年の1974年、消防法が改正。不特定多数の人が出入りする百貨店や地下街などに、スプリンクラーや排煙設備の設置などが義務付けられました。
未曽有の火災から50年。火事を防ぐ設備や技術は当時に比べ、格段に向上しました。一方で、内田さんは二度と同じ事態を繰り返さないためには、一人ひとりが意識を強く持つことが必要と語ります。
■熊本市消防局元消防士 内田平十郎さん
「消防設備が良くなったとしても、人間がやることだから、どこかでやっぱりエラーが出てくると思います。そこの辺のところは、自分の安全意識の中で補って欲しいと思います。やっぱり何を判断するにも自分自身だからですね」