「江戸時代に塩田の樋門として使用」水俣市の百間排水口 市民グループが調査結果発表
水俣の歴史的遺構を残す会は、百間排水口の保存問題をきっかけに水俣病関連の遺構の記録を進めています。会は7月、百間排水口が江戸時代に塩田の樋門として使われていたという調査結果をまとめました。
会は、江戸時代から明治、大正、昭和にかけて産業の近代化によって樋門の機能が変わっていった歴史を知ることや、現存する排水口の構造を調査して石積みが伝統的なものか解明することが必要だと訴えました。
百間排水口の樋門の修復は、熊本県によって進められています。