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地震被害乗り越えて 伏木曳山祭への思い

2024年5月17日 21:38
地震被害乗り越えて 伏木曳山祭への思い
高岡市伏木地区は、能登半島地震で液状化の被害が深刻です。伏木曳山祭にかける関係者の思いを取材しました。

5月1日、伏木曳山祭に向けて、山倉では準備が進められていました。どの町の倉も扉を閉め、山車づくりは、他の町に見せないのが伝統です。

今年の祭りの運営を担う当番町の旧本町に、準備の様子を見せてもらいました。かっちゃで山車をぶつけ合う部分は、毎年作り替え、丸太も自分たちで山から切り出してきます。丸太を縄で固定するには、伝統の技が必要です。

作業する男性「こういった縛りは先輩たちからの伝統、継承があるので、それを崩すことはしたくないので、それをやりながら自分たちがやりやすいような工夫をしてやっている」

最年少二十歳の中村龍馬さんは、縛り方に苦戦していました。「あー、難しいぞ。これどうですか?あーなんか違うなあ。こんなに手こずっているところ見られたくないな」

見かねた先輩が、指導します。「締めているロープの下をただ2本通るだけ」

能登半島地震で伏木地区は液状化の大きな被害を受けました。住宅が損壊し、道路に亀裂や段差が生じて祭りの開催が危ぶまれました。

しかし、開催が決まらない状況でも住民たちは準備を進めてきました。

旧本町 鶴谷卓哉総代「伝統は継承というか、次につなげていきたいので。今年をまず成功させてから、じゃあまた来年、来年の積み重ねで乗り切った先に、俺らは大変な時も乗り切ったよという伏木の力になると思うのでしっかりやっていきたい」

5月3日、山車の倉出しと試し曳きの日です。

いつもは6基が並びますが、この日、並んだのは5基。

姿がないのは湊町の山車です。倉出しの3時間前、レッカー車に吊り下げられていました。そのままトレーラーに載せて、地元の湊町まで運びました。

向かったのは、山宿になっている地元の公民館。ここで、シンボルの蝶々を付け、花笠を付けて組み立てます。

なぜ、トレーラーに載せてまで地元に運んだのか。道路の液状化被害が影響しています。

湊町 國谷昌俊総代「湊町は湊町地内に祭礼当日、山車を持って来られないので、やっぱり湊町の人に元気になってもらいたいという思いと、子どもたちが楽しい思いをしてもらいたいので、湊町地内を倉出し、奉曳きしようと思ってここまで持ってきました」

5基の山車が並んだ山倉では、一番山車の旧本町から試し曳きが始まりました。

「あ、いやさー、いやさー」子どもたちも試し曳きを楽しみました。

今なお不便な生活を強いられている伏木地区。祭りの開催に反対する声もあり、この日も山車を曳かない町がありました。

年配の男性「みなさん考えひとつひとつですけれども、ひとつここは頑張ろう伏木ということで(祭りは)開催した方がいいんじゃないかと」

子どもを抱く男性「(試し曳きをした山車は)思いを汲み取って、曳いてくれているんじゃないかなと思います」

縄を縛るのに苦戦していた中村さんは、山車の上から伏木の町をながめました。「住民が笑顔でいやさー、いやさーと言ってくれていて、震災があっても祭りで元気、笑顔を取り戻せることに成功したのかなと。(山車を曳けない)友達の分まで精一杯、楽しんでやろうという気持ちで頑張りました」

伏木曳山祭は今年、能登半島地震による被害で、観客を受け入れる態勢を整えられないため、無観客での開催です。

復興を願い、地元の住民のために行われます。行きたい気持ちをぐっと押さえて、今年はYouTubeなどで祭りを見守りたいですね。
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