「1年近くよく頑張ったな」能登半島地震で土砂崩れに巻き込まれた弟 帰り待ち続けた兄の1年
1月。輪島市内で行われたのは垣地英次さんの告別式。
垣地英次さんの兄・垣地 弘明 さん:
「もう1年前ですけどもね、大きな土石流に巻き込まれて、土の中にね、1年近くよく頑張ったなって褒めてやりたいですね」
1年前の元日… 当たり前の暮らしが、人々の命が、土砂に流されました。
輪島市市ノ瀬町では、地震により山頂付近から約1キロにわたって斜面が崩壊。
緑豊かな山あいの集落は一面、土色に変わり果てました。
垣地 弘明 さん:
「3日の現場行って、弟の名前叫んで何回も叫んで、でも返答がない」
実家は土砂に押し流され、そこに1人で暮らしていた英次さんも巻き込まれました。
垣地 弘明 さん:
「連絡は、1週間前がおふくろの四十九日だったので、そのときに会って「次は正月に来るわいや」と話して、2人で箱根駅伝、正月は見ようって言っていた」
捜索がつづけられると…
垣地 弘明 さん:
「皆さんが探しているのに応えてやってくれよっていう気持ちでね、早く出てきてくれと」
早く見つかってほしいーその願いは叶わないまま、半年がたとうとしていました。
6月、自宅のある金沢から100キロあまり離れた輪島まで毎週のように通い続ける日々。
垣地 弘明 さん:
「寂しいわ。本当に寂しい。ふと、年取ると夜中よく起きるんだけど夜中ふと起きるとなんか寂しいよ。寂しくなるね」
少しでも、弟のそばにいたい。復旧途中の険しい道のりを3時間かけて向かいます。
寝泊まりするのは地元の公民館。顔なじみの館長がいつも話を聞いてくれます。
「5か月も経ったんですけど、こんな状態ですからね。早く弟さんも見つかればいいんやけどね」
「ですね。待つしかないです」
「待つしかないんですけどね」
「順番ですよ」
幼い頃から仲が良く、けんかをしたことはありません。木登りも、野球も、何をするにも一緒でした。
就職や結婚でお互いの生活が変わり、大人になってからは頻繁に連絡を取り合うことはありませんでしたが、それでも年に何度かは必ず酒を酌み交わし、近況を語り合う仲でした。
垣地 弘明 さん:
「重機、緑と黄色の今、止まっているかと思うんですけどね。あの真下がうちの家があったところですね。8メートルぐらい下が家があったところです。家自体は土の中に」
弟は、いったいどこに…
9月。経験したことのない雨が、能登半島を襲いました。再び傷つけられた復旧途中の能登。
この豪雨で、また土砂崩れが起きるかもしれないと、英次さんの捜索活動は中断されることになったのです。
2か月後。震災後2度目の冬を迎えようとしていたころ、ようやく捜索が再開。
約1年かけて土砂を掘り起こし、ようやく自宅の痕跡がありました。
垣地 弘明 さん:
「たぶんここ、家の駐車場になっていたところだと思うんです。うん、ここ玄関のタイルですから、まさしく、玄関のところに行ったとき、いましたのであとは…」
生まれ育った実家はもうありません。そこにいた弟も…。
垣地 弘明 さん:
「顔の表情とかは多分、うかがい知ることはできないと思うんですけど。できるだけ早く会いたいってことですかね、本当に。もう少しかなって自分で思ってますんで」
それから2日後。実家のそばから男性の遺体が見つかったと連絡がありました。
鑑定の結果、遺体は英次さんだと判明したのです。
「ありがとう。正月悶々と過ごさんでいいかもしれん、少しは」
正月…
垣地 弘明 さん:
「遺族としても二人きりの兄弟だけだったので、僕が責任もってずっと弔っていきたい」
弟を弔うこともできなかったこの1年。あの日から止まったままの時間がようやく進み始めました。
いまは思い出が詰まったこのふるさとの復興を何よりも、願っています。