「最後に声が聞けた」72時間後に救出された女性が亡くなる 遺族が語る思い
復旧復興が進む一方、つらい話も。
輪島市で地震発生から72時間後に救出された女性がその2日後、搬送先の病院で亡くなっていました。
「最後に声が聞けた」という遺族が思いを語りました。
(19日・ 輪島市)
輪島市で倒壊した家の片付け作業に追われていた外武志さん 60歳。
今回の地震で母・節子さんと弟の忠司さんを亡くしました。
外 武志さん「ふと何もあいていない時になると、どうしても思い出すので、そうするとつらくなるので」
(救出された当時映像)
「次担架入れるよ、担架用意して」
(女性の声)「おっけーおっけー、お母さん頑張ったね」
母の節子さんは生存率が急激に下がるとされる「72時間」。まさにその時に救出されたのです。
「おかあさん、よーがんばったね!わかりますか」
(女性の声)「頑張ったね大丈夫やからね」
しかしその後、容態が急変。息を引き取りました。
武志さんは、救出された節子さんと最後に言葉を交わしたと言います。
外武志さん「僕らが行ったときには「もしもし電話してくれてありが とう」という言葉だった。それもはっきりしたいつもの母の口調で母の声で大きさも含めて「電話ありがとうね」って」「最後に声も聞けたし、会話はできなかったですけど、声は聞けたし、温かい体にも触れられたし、それは感謝ですね」
それでも2人の身内を失った武志さん。
悲しみやつらさを紛らわせようと黙々と片付けを進めながら、亡き母、弟との思い出の品を探していました。