【特集】<女川原発・再稼働>これまでの”経緯”と”住民の思い”(宮城)
牡鹿半島の東側に位置する宮城・女川町の鳴浜。
当時の記者
「建設予定地はご覧のように整地が進み、きょうから原子炉の心臓部ともいえる原子炉建屋の基礎工事に着工しました」
女川原子力発電所の建設が始まったのは、1979年だった。
原発建設を巡っては、地元漁協を中心に反対運動が展開された。
半世紀にわたり反原発の活動を続けている、元女川町議の阿部美紀子さん(72)。
阿部さんは、反対派のリーダーだった父親と共に運動に加わった。
元女川町議の阿部美紀子さん(72)
「土地を買収されていて土地を売らないっていう運動ができないから、漁業権を渡さないという運動だった。放射能出したら危険なんじゃないか。単純。そういうことですよね」
女川原発の着工は、漁業補償や安全協定がまとまるまで10年あまり遅れた。
1号機の営業運転が始まったのは、1984年。
その後、2号機も建設され1995年に営業運転が始まった。
石巻市の住民
「今度 再稼働するとか言ってる あれ(2号機)を、建てる時はアルバイトしたことがある」
原発が立地することによって、女川町には国から平均で毎年6億円が交付され、小中学校の建設や医療センターの運営や水道事業費などに使われてきた。
再稼働への受け止めは、様々だ。
女川町の住人
「原発が稼働すれば、例えばこの辺の宿舎も埋まる、原発に関連する業者もいっぱい入ってくるわけで、飲食店も賑やかになってくるし、 そういうとこもありがたいと思うし、なんかうまくやっていけばいいんじゃないか」
「万が一何か災害とか何かあった時のために、 こういう風にしようかなとかは常に考えてはいる」
2011年、東日本大震災。
女川原発は、1号機と3号機は通常運転中。2号機は原子炉起動中だったが、大きな揺れにともない3基全てが自動停止した。
その後、高さ13メートルの津波が押し寄せたが、発電所の敷地の高さを越えることはなく、地下からの浸水で一部設備に被害があったものの核燃料の冷却に必要な外部電源や非常用電源は確保されている状態だった。
一方、女川原発近くの集落は、およそ2週間孤立状態となった。
女川原発で重大事故が起きた場合、ただちに避難を行う5キロ圏内=PAZの人口は女川町と石巻市で合わせて948人。
震災後、避難計画は見直され、女川町では事故が起こった場合 内陸部を通って栗原市へ避難する計画だ。
震災後、半島部の漁港のある地区では、海沿いの道路と別に内陸側の高台にも道路が整備され、原発で事故が起きた際にはこの道路を通って避難する計画だ。
しかし、阿部さんは避難計画の実効性に疑問を投げかける。
元女川町議の阿部美紀子さん(72)
「確かに道路は広くなったりしてますけれど、道路に亀裂が走るとか法面の土砂崩れとか崩落とかも考えられるし、万全だとは思いません。実効性ないと思いますね。ここの浜も高齢者が多いんです、車運転しない人もいるんですね。ちょっとこういうところまで、バス本当に来るのかなってみんな不安を抱えていると思う」
宮城県と東北電力では、住民も交えながら避難計画に基づき重大事故を想定した避難訓練を行ってきた。
女川町の住民
「原発に関する避難は、津波に関する避難とかとはまた全然違う、中身も違うので、 そういうものを町民はどれぐらい理解して把握して行動できるかっていうところはなかなか疑問です」
石巻市の住民
「道路の設備をもっとよくしなくちゃ、流れをよくする道路を作らなくちゃいけないんじゃないか。今の現状の道路じゃ逃げきれないよね」
石巻市の市民グループは、東北電力に対し災害時の渋滞発生で避難場所にたどり着けないなど避難計画に実効性がないとして、再稼働の差し止めを求め訴えを起こしている。
女川原発2号機の再稼働は、福島第1原発の事故後にできた新たな規制基準を満たす必要があったが、2020年審査に合格し、村井知事も〝地元として同意する〟と表明した。
東北電力でも、防潮堤のかさ上げ工事や原子炉建屋の耐震補強など、安全対策工事を今年5月までに完了させた。
2号機が再稼働すると、火力発電の燃料費負担が減少するため、年間およそ600億円の燃料費削減効果が見込まれている。
東北電力では、再稼働にあたり環境性・経済性・安定供給の同時達成の観点から、原子力を活用しながらバランスの取れた電源構成を実現することが、重要としている。
当時の記者
「建設予定地はご覧のように整地が進み、きょうから原子炉の心臓部ともいえる原子炉建屋の基礎工事に着工しました」
女川原子力発電所の建設が始まったのは、1979年だった。
原発建設を巡っては、地元漁協を中心に反対運動が展開された。
半世紀にわたり反原発の活動を続けている、元女川町議の阿部美紀子さん(72)。
阿部さんは、反対派のリーダーだった父親と共に運動に加わった。
元女川町議の阿部美紀子さん(72)
「土地を買収されていて土地を売らないっていう運動ができないから、漁業権を渡さないという運動だった。放射能出したら危険なんじゃないか。単純。そういうことですよね」
女川原発の着工は、漁業補償や安全協定がまとまるまで10年あまり遅れた。
1号機の営業運転が始まったのは、1984年。
その後、2号機も建設され1995年に営業運転が始まった。
石巻市の住民
「今度 再稼働するとか言ってる あれ(2号機)を、建てる時はアルバイトしたことがある」
原発が立地することによって、女川町には国から平均で毎年6億円が交付され、小中学校の建設や医療センターの運営や水道事業費などに使われてきた。
再稼働への受け止めは、様々だ。
女川町の住人
「原発が稼働すれば、例えばこの辺の宿舎も埋まる、原発に関連する業者もいっぱい入ってくるわけで、飲食店も賑やかになってくるし、 そういうとこもありがたいと思うし、なんかうまくやっていけばいいんじゃないか」
「万が一何か災害とか何かあった時のために、 こういう風にしようかなとかは常に考えてはいる」
2011年、東日本大震災。
女川原発は、1号機と3号機は通常運転中。2号機は原子炉起動中だったが、大きな揺れにともない3基全てが自動停止した。
その後、高さ13メートルの津波が押し寄せたが、発電所の敷地の高さを越えることはなく、地下からの浸水で一部設備に被害があったものの核燃料の冷却に必要な外部電源や非常用電源は確保されている状態だった。
一方、女川原発近くの集落は、およそ2週間孤立状態となった。
女川原発で重大事故が起きた場合、ただちに避難を行う5キロ圏内=PAZの人口は女川町と石巻市で合わせて948人。
震災後、避難計画は見直され、女川町では事故が起こった場合 内陸部を通って栗原市へ避難する計画だ。
震災後、半島部の漁港のある地区では、海沿いの道路と別に内陸側の高台にも道路が整備され、原発で事故が起きた際にはこの道路を通って避難する計画だ。
しかし、阿部さんは避難計画の実効性に疑問を投げかける。
元女川町議の阿部美紀子さん(72)
「確かに道路は広くなったりしてますけれど、道路に亀裂が走るとか法面の土砂崩れとか崩落とかも考えられるし、万全だとは思いません。実効性ないと思いますね。ここの浜も高齢者が多いんです、車運転しない人もいるんですね。ちょっとこういうところまで、バス本当に来るのかなってみんな不安を抱えていると思う」
宮城県と東北電力では、住民も交えながら避難計画に基づき重大事故を想定した避難訓練を行ってきた。
女川町の住民
「原発に関する避難は、津波に関する避難とかとはまた全然違う、中身も違うので、 そういうものを町民はどれぐらい理解して把握して行動できるかっていうところはなかなか疑問です」
石巻市の住民
「道路の設備をもっとよくしなくちゃ、流れをよくする道路を作らなくちゃいけないんじゃないか。今の現状の道路じゃ逃げきれないよね」
石巻市の市民グループは、東北電力に対し災害時の渋滞発生で避難場所にたどり着けないなど避難計画に実効性がないとして、再稼働の差し止めを求め訴えを起こしている。
女川原発2号機の再稼働は、福島第1原発の事故後にできた新たな規制基準を満たす必要があったが、2020年審査に合格し、村井知事も〝地元として同意する〟と表明した。
東北電力でも、防潮堤のかさ上げ工事や原子炉建屋の耐震補強など、安全対策工事を今年5月までに完了させた。
2号機が再稼働すると、火力発電の燃料費負担が減少するため、年間およそ600億円の燃料費削減効果が見込まれている。
東北電力では、再稼働にあたり環境性・経済性・安定供給の同時達成の観点から、原子力を活用しながらバランスの取れた電源構成を実現することが、重要としている。
最終更新日:2024年10月29日 19:30