1歳で目の難病に…夢はブラインドサッカー日本代表と特別支援学校の教師「挑戦することの楽しさを」
3月、宮城県立視覚支援学校で行われた卒業式。
卒業生の一人が塩釜市の齋藤陽翔さん(18)。逞しく成長した姿を両親が見守る。
陽翔さんは1歳の時、進行性の目の難病網膜色素変性症と診断された。
視力はずっと0.1以下で成長と共に視野が狭くなってきているという。
母・幸子さん
「保育所に入ってほかの子供たちと同じことをやるのは陽翔にとっては大変だったと思うので少し友達は少なかったのは正直少なかった」
陽翔さん
「人との交流はほぼ無くて逆に人と合うのが嫌で、だから段々交流っていやだなって思っていて」
ブラインドサッカーはアイマスクとヘッドギアを装着してプレーするスポーツでパリパラリンピックの正式種目にもなっている。
陽翔さんは10歳の時、この競技に出会い現在は社会人チーム「コルジャ仙台」のキャプテンを務める。
そして、母親の幸子さんもチームの一員でゴールまでの距離や、ボールの位置を指示する役割を担っている。
陽翔さんは全国の有望選手が召集される「ユーストレセン」にも選ばれていてブラサカ日本代表を目指している。
陽翔さん
「やっぱり声が出ててすごいありがたかったです。」
幸子さん
「100点満点のシュートだったので久しぶりに息子のシュートで涙が出そうになった。」
半年ほど前から陽翔さんがボランティアを始めたのが仙台市の障害児のデイサービス施設。
陽翔さん
「はい、ごくん。OK!こっちかな、これ食べたいのかな…そうだね食べたいんだねこっちがね。」
母・幸子さんも勤務している施設で陽翔さんは長期休みの際には毎日のように訪れている。
子どもたちと一緒に過ごす中で陽翔さんのもう一つの目標が出来た。
陽翔さん
「障害があると自信がどうしてもなくなっちゃうのかな。僕自身、小学校中学校の時に自信がなかったので言いたいことも言えなったししたいこともできなった。なにかつらいと思っているところをお手伝い出来たら。」
陽翔さんはこの春から、宮城教育大学に進学し数学の教員資格取得を目指す。
陽翔さん
「挑戦することの楽しさを伝えられるような先生になりたい。」