炎が長くユラユラ揺れる「和ろうそく」職人は全国3か所だけ 伝え残したい地元・島原の文化《長崎》
【NIB news every. 2024年7月17日放送より】
島原市有明町にある本多木蝋工業所に「和ろうそく」の原料 “木ろう” を作り続ける職人がいます。
江戸時代から続く地域の文化、後世へと伝えています。
先端に火を灯すと 、大きな炎が美しく ゆらめきます。
様々な表情を見せる「和ろうそく」です。
原料は、植物の「ハゼの実」。石油から採ったパラフィンで作る洋ろうそくと比べて、液だれがほとんどなく すすも少ないとされている上、「和ろうそく」特有の大きく長い炎や独特な揺らぎから観賞用としても愛されています。
(本多 俊一さん)
「(芯に)空洞を作って、ゆらめきを作り出している。それを昔の人は “いやされる炎” と(感じた)」
本多 俊一さん 69歳。
和ろうそくの原料「木ろう」をつくる職人です。
創業94年。島原市有明町にある本多木蝋工業所。祖父・来吉さんが創業し、俊一さんが3代目です。
木ろうを作っているのは この工業所のほか、福岡・愛媛と、全国に3か所しかありません。
原料は、地元の島原半島で育つ 良質な「ハゼの実」。
大きなふるいで不純物を取り除いた後、実を細かくつぶして約20分間 蒸し上げます。
夏場の作業は大変な重労働で、工業所の温度は50度近くに。
蒸した後は、昭和初期に作られた「玉締め式圧搾機」で圧力をかけて、実から “ろう” を抽出します。
(本多 俊一さん)
「ここの中に15キロ入れて、出るのは2リットルちょっと。17%~18%しか出しきれない」
江戸時代から続く伝統の製法で作り続けているのは、本多さん ただひとりだけ。
現代の技術を使えば より多くの木ろうを抽出できますが、こだわる理由があります。
(本多 俊一さん)
「本物を作りたい。自然のものを大事にしたい」
時間をかけて絞り出された木ろうは、ろうそくだけでなく 大相撲の力士のびんつけ油や、石けんなどにも使われています。
■島原の伝統文化を 後世に伝え残したい
本多さんは元中学校教諭。
教員を務めながら、父・正則さんの工場を手伝い、木ろうを作ってきました。
(本多 俊一さん)
「製造業だけでは、ここは何をしているのかということを言われていた。何をしているのか(知っている)という人は少なかった」
8年前に定年退職した後、自宅だった場所を改装。
伝統文化を伝えていこうと、小学校教諭だった妻の美佐さんとともに 和ろうそくの販売や製作体験ができるようにしました。
( 妻・美佐さん(65))
「木ろうに対する思いは誰よりも強い。やろうと思ったことは、何も相談せず突っ走る」
その本多さんが今 力を入れているのが、江戸時代から島原地域を支えてきたハゼの文化の発信です。
島原地域の伝統産業を7年前からは、地域の子どもたちにハゼの実の収穫を体験してもらうイベントを始めました。
後世に伝える取り組みです。
(本多 俊一さん)
「地域から理解されなかったら、残っていかないと思う。そういう面では、体験、販売して、修学旅行生や高齢者の方も集まって “和ろうそく作り” や “絵付け体験” をやって。地域にハゼの文化が広がったのではないか」
島原市の千本木地区。
かつては多くの人が暮らし、たくさんのハゼノキがありました。
(本多 俊一さん)
「ハゼがいっぱいここにあった。千本以上あるから、千本木という名前の由来と言われている」
しかし…。
1993年6月23日、雲仙普賢岳の噴火災害で千本木を大火砕流が襲いました。
集落は壊滅的な被害に…。
(本多 俊一さん)
「千本木の民家があった、ここに。人が住んでいた。ここであちらから火砕流が流れてしまって。下の方に(ハゼノキの)原木があった」
ハゼノキは焼失し、住民も集団移転。
“かつての姿を取り戻したい” と本田さんは5年ほど前から、ハゼノキの苗を植え続けています。
(本多 俊一さん)
「ここは道路が広いし、両側にハゼを植えれば 昔のようにハゼ並木になる。景色もいい。有明海が見えて、こちらに雲仙普賢岳。みんなでやろうとなれば、また元の千本木に戻るんじゃないか」
江戸時代に眉山が崩壊した「島原大変肥後迷惑」では、木ろうの販売で島原藩が復興したと伝えられてます。
それから、230年あまり。
(本多 俊一さん)
「島原は2度の災害に負けないで頑張っているということを、島原の人たちが全国に、世界に、アピールしてもらいたい」
本多さんは今年5月、全国的な表彰を受けました。それは『特用林産功労者』。
木ろうは特用林産物のひとつで、活動が高く評価されました。父・正則さんも表彰されていて、親子2代での受賞は初めてです。
(本多 俊一さん)
「父親も製造業として認められた。自分の場合は、製造業プラス ハゼの文化を地域に広げた、地域の活性化になった」
6年後には、創業100年。本多さんの今の思いは…。
(本多 俊一さん)
「地元の人の理解や協力がなかったら、地方の伝統産業は残らない。ハゼ文化もそうだと思う。
和ろうそくだけじゃなくて、島原半島の伝統産業『木ろう』というものを、島原の人がまず ハゼ文化をもっと理解してもらいたい」
島原のハゼの文化を後世に。伝統産業の火をともし続けます。