高知の表情を空から紹介『空からeyeましょう』 11月15日に189回目の誕生日を迎えた坂本龍馬ゆかりの場所を巡る【高知】
ドローンで高知県内各地の表情を紹介する「空からeyeましょう」。今回は11月15日に189回目の誕生日を迎えた坂本龍馬ゆかりの場所を巡ります。
【桂浜】
岬から弓状に延びる砂浜に雄大な太平洋からの波が静かに打ち寄せる海岸。高知を代表する観光名所「桂浜」です。
「よさこい節」にも唄われるなど月の名所としても知られていて、国内はもとより海外でも人気のスポットです。
桂浜のすぐ近くにある丘の上に建っているのが、高知が生んだ幕末の英雄・坂本龍馬の銅像です。
足元はブーツ。懐に手を入れたポーズなど、私たちがよく知る龍馬の姿を再現しています。
桂浜の龍馬像は1928年(昭和3年)、高知県出身の青年たちが当時まだあまり注目されていなかった坂本龍馬の知名度を上げようと、全国に募金活動を展開。像の高さは5.3メートル。台座を含めた高さは13.5メートルと、実在の人物をモデルとしたものでは当時国内最大級の銅像として建てられました。
坂本龍馬の名を全国区に押し上げた、作家・司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」は、司馬さんが桂浜を訪れた際にこの銅像建立の経緯を聞き、執筆を決意したともいわれています。
建立以来、全国の龍馬ファンが集う場所となっている龍馬像。これまでに潮風や台風の影響で銅像内部が錆びるなど倒壊の危機がありましたが、その度に市民や龍馬ファンの募金で修復活動を行い、銅像を守ってきました。
最近では、龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日を含む約2か月間やゴールデンウィーク前後に龍馬像の横に展望台が設置され、龍馬と同じ目線で太平洋を眺めることができます。
建立から間もなく100年を迎える坂本龍馬像。
高知の今を、そして明日を桂浜から見つめています。
【梼原町 維新の門・脱藩の道・三嶋神社など】
続いてやってきたのは、高知市から車で約1時間半、高知県中西部に位置する梼原町です。
この町には龍馬が脱藩するために通ったとされる道や、道中の無事を祈願したと伝わる神社が残されています。
1862年(文久2年)3月、「桜を見に行く」と家を出て脱藩した龍馬。高知城下から現在の佐川町や津野町を経由してこの場所まで、ひたすら自分の足で険しい道を駆け抜けました。
【韮ヶ峠】
梼原町の中心地からさらに山深い場所にやってきました。愛媛県との境にある韮ヶ峠です。ここから現在の愛媛県へと脱藩を果たした龍馬はその後、京都で暗殺されるまでの約5年間で薩長同盟・大政奉還など明治維新につながる大きな動きの立役者となっていく事になります。
龍馬に関する多くの遺構が残る梼原町。現在は地元の梼原龍馬会がガイドをして、龍馬の魅力を広める活動をしています。
■梼原龍馬会・若宮康秀さん
「龍馬の動いた時代というのは、本当に国を想う、幕府を倒さないと日本は潰れる。そのために同志を集めて国をどうするぜと切磋琢磨した。そういう事が今一番問われるんじゃないかと思います。もっとこう皆が寄り添って、これからの日本をどうしていくぜよと色々な話をしてやらないと。もうあの世で坂本龍馬が何しゆうぜよと言われると思いますよ。上の方で見ていると思います」
「日本を今一度せんたくいたし申候」。
手紙に残したその言葉通り、33年という短い生涯の中で幕末の日本に大きな足跡を残した坂本龍馬。その生き方はこの世を去って約160年たった今も、私たちを魅了し続けています。
【桂浜】
岬から弓状に延びる砂浜に雄大な太平洋からの波が静かに打ち寄せる海岸。高知を代表する観光名所「桂浜」です。
「よさこい節」にも唄われるなど月の名所としても知られていて、国内はもとより海外でも人気のスポットです。
桂浜のすぐ近くにある丘の上に建っているのが、高知が生んだ幕末の英雄・坂本龍馬の銅像です。
足元はブーツ。懐に手を入れたポーズなど、私たちがよく知る龍馬の姿を再現しています。
桂浜の龍馬像は1928年(昭和3年)、高知県出身の青年たちが当時まだあまり注目されていなかった坂本龍馬の知名度を上げようと、全国に募金活動を展開。像の高さは5.3メートル。台座を含めた高さは13.5メートルと、実在の人物をモデルとしたものでは当時国内最大級の銅像として建てられました。
坂本龍馬の名を全国区に押し上げた、作家・司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」は、司馬さんが桂浜を訪れた際にこの銅像建立の経緯を聞き、執筆を決意したともいわれています。
建立以来、全国の龍馬ファンが集う場所となっている龍馬像。これまでに潮風や台風の影響で銅像内部が錆びるなど倒壊の危機がありましたが、その度に市民や龍馬ファンの募金で修復活動を行い、銅像を守ってきました。
最近では、龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日を含む約2か月間やゴールデンウィーク前後に龍馬像の横に展望台が設置され、龍馬と同じ目線で太平洋を眺めることができます。
建立から間もなく100年を迎える坂本龍馬像。
高知の今を、そして明日を桂浜から見つめています。
【梼原町 維新の門・脱藩の道・三嶋神社など】
続いてやってきたのは、高知市から車で約1時間半、高知県中西部に位置する梼原町です。
この町には龍馬が脱藩するために通ったとされる道や、道中の無事を祈願したと伝わる神社が残されています。
1862年(文久2年)3月、「桜を見に行く」と家を出て脱藩した龍馬。高知城下から現在の佐川町や津野町を経由してこの場所まで、ひたすら自分の足で険しい道を駆け抜けました。
【韮ヶ峠】
梼原町の中心地からさらに山深い場所にやってきました。愛媛県との境にある韮ヶ峠です。ここから現在の愛媛県へと脱藩を果たした龍馬はその後、京都で暗殺されるまでの約5年間で薩長同盟・大政奉還など明治維新につながる大きな動きの立役者となっていく事になります。
龍馬に関する多くの遺構が残る梼原町。現在は地元の梼原龍馬会がガイドをして、龍馬の魅力を広める活動をしています。
■梼原龍馬会・若宮康秀さん
「龍馬の動いた時代というのは、本当に国を想う、幕府を倒さないと日本は潰れる。そのために同志を集めて国をどうするぜと切磋琢磨した。そういう事が今一番問われるんじゃないかと思います。もっとこう皆が寄り添って、これからの日本をどうしていくぜよと色々な話をしてやらないと。もうあの世で坂本龍馬が何しゆうぜよと言われると思いますよ。上の方で見ていると思います」
「日本を今一度せんたくいたし申候」。
手紙に残したその言葉通り、33年という短い生涯の中で幕末の日本に大きな足跡を残した坂本龍馬。その生き方はこの世を去って約160年たった今も、私たちを魅了し続けています。
最終更新日:2024年11月18日 18:52