【怒り】大沢孝司さんが失そうから51年 兄・昭一さん「怒ってもらいたい」《新潟》
大沢孝司さんが失そうしてから24日で51年を迎えました。北朝鮮に拉致された可能性があるとして活動を続けてきた兄・昭一さんは日本政府に「怒ってもらいたい」と怒りをにじませました。
51年前の「あの日」も雪が舞っていました。
1974年2月24日に行方がわからなくなった大沢孝司さん、当時27歳。
「孝司さん帰りを待ってるぞー」「待ってるぞー」
新潟市西蒲区では24日、孝司さんの兄・昭一さんや同級生などが集まり、孝司さんへの思いを叫びました。
県職員として働いていた孝司さん。
配属先の佐渡市で行方が分からなくなり、拉致の可能性が排除できない特定失そう者とされています。
同級生は青いリボンを作り年に6回ほどの募金活動で配ってきました。
失そうから51年。
兄・昭一さんは2月、89歳となりました。
昭一さん
「私も89歳でだいたい友達もいま、いなくなっています。よく神様は私を支えてくれているなと感謝しています。神戸の(拉致被害者)有本(恵子)さんのお父さんが亡くなりました。96歳です。もうちょっと怒ってもらいたい日本政府に。これだけ総理大臣が変わってみんな最重要課題と言いながら何も動かない。この現実を何とか動かしてもらいたい」
「大沢孝司さんと再会を果たす会」は拉致被害者としての認定を目指すとともに、救出に向けて3月、年に1度の総会を開く予定です。