犀川ダム湖 スキーバス転落事故から40年 「同じ悲しみを味わう人がこれ以上増えないように」大学生など25人が死亡 犠牲者悼む 当時の事故の状況物語るガードレールは今も…
長野市の犀川ダム湖にスキーバスが転落し、大学生など25人が死亡した事故から28日で40年です。当時、バスに乗っていた女性は「同じ悲しみを味わう人がこれ以上増えないでほしい」と語りました。
木下歌織キャスター
「犀川の向こう側を見ると、当時ここには橋があった跡が残っています。橋は撤去されていますが、当時の事故の状況を物語るガードレールは今も残されています」
事故は1985年1月28日の早朝、長野市信更町の国道19号で下高井郡山ノ内町の志賀高原のスキー場に向かっていたバスがカーブでスリップして犀川ダム湖に転落。バスには日本福祉大学(愛知)の学生など46人が乗っていて、このうち25人が亡くなりました。当時、バスに乗っていた香山久子さんは自力で脱出し、一命をとりとめました。
香山久子さん
「水面に上がって息ができてということばかりで、中にいるときは冷たいとかは今は覚えていない。初めて寒いと思ったのは、(土手の)上に上がってここが雪が踏み固められていて、そこに上がって待っているときにはじめて寒いと感じました」
事故現場には遺族や大学の関係者などが訪れ、慰霊碑に花を手向けました。
バスに乗っていた職員(当時)津田道明さん
「22人の学生を亡くした時に一人の命も救えなかったということが今でもずっと引きずっております」
バスに乗っていた香山久子さん
「あなたたちがやりたかったことを違う形でもいいから私なりにやっていきますのでどうぞ見守っていてくださいと声を掛けました。同じ悲しみを味わう人がこれ以上増えないようにこうやって訴えることで事故が少しでも減ってもらえればと世の中の人に伝えていきたい」
日本福祉大学はキャンパスでも追悼集会を開き、犠牲者の遺志や事故の教訓を語り継いでいくことを誓いました。