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【特集】酪農大家族30年の記録・吉塚公雄さん一家①

2025年1月14日 18:55
【特集】酪農大家族30年の記録・吉塚公雄さん一家①

 特集は、田野畑村の酪農大家族吉塚公雄さん一家です。プラス1が取材を始めて30年が過ぎた、吉塚さん一家の記録を、毎週火曜日に3回シリーズでお伝えします。

  初めての子を産んだばかりの妻のもとに向かう人がいました。

( 雄志さん)おはよう 大丈夫? 寝た?
( 妻希望さん)まだ病院の服だから
( 雄志さん)あー柚葵信じられないですね。自分も30年前にこういう状態だったと思うと信じられないな30年後に抱いているなんて

  30年前、雄志さんは吉塚家の4男として田野畑村で生まれました。

母 登志子さん
「可愛くてね、手も足も小っちゃいんでね、喜んで自分もこうだったかこうだったかって みんなして中学校の都までそう言いますね、都もこうだったのって信じられないよね」

(公雄さん)そっち行くよ

 千葉県市川市出身の吉塚公雄さんは昭和26年、1951年生まれ。広い土地を求めて田野畑村に移住したのは1974年22歳の時です。

(公雄さん)なんだ。バカだな公太。何考えてるんだあれは公太!なんだよ公太 公太
( 公太郎さん)なに?
( 公雄さん)なんで成牛持ってくるんだ

  三十年前の農場。小学生だった兄弟は家族の力になろうと必死でした。子どもたちは学校に上がると乳搾りもします。一家はプレハブ住宅に二十年以上住んでいました。

 50年前。お父さんが開拓を始めて十年間は電気が引けずランプ生活でした。 その頃のことを忘れないために、年に一度はランプの下で食事をします。

(恭次さん)クリスマスみたい 懐かしいね
( 公雄さん)これがランプの灯りですね
( 恭次さん)なんか特別な日みたい。雄志ダメだ 危ない
( 家族8人全員)おじいちゃん おばあちゃんありがとうお父さん お母さん ありがとう都ちゃん 公太郎君 恭次君令子ちゃん純平君 雄志君牛さんありがとういただきます どうぞ召し上がれ
( 登志子さん)小さいころからの夢は家族で住みたい早く両親を亡くしてバラバラになっていただけに、家族皆で食事ができる生活が夢だったことがあるだけに、毎日毎日みんなでおじいちゃんおばあちゃんありがとうって全員で食事ができる本当にありがたいなあって

 「山地(やまち)酪農」吉塚農場の牛は乳搾りの時以外は山で過ごし、二ホンシバや山に生える草自前の牧草だけで育ちます。 日本の多くの酪農家は、牛乳をたくさん搾ろうと穀物を使った高カロリーの濃厚飼料を与えています。また牛舎で飼うことで牛を歩かせないようにして牛乳生産には余計なエネルギーの消耗を抑えています。しかし日本の濃厚飼料の自給率はわずか一割にすぎません。

( 公雄さん)僕に言わせれば日本の畜産は農業じゃないって 言うんです。 はっきり原料を穀物の原料を輸入してそれを家畜という機械に与えて肉にしたり食べ物にしたりね牛乳にしたりしているだけの話。そこには農業生産という工程がない 加工生産だけしかも効率を追う訳安い原料を食わせて80円なら80円と決まっているわけだけどいっぱい売って金にしようということしか方法は残されていない。だからみんながそこに目が行っちゃうのは当たり前だし そこに問題があるそうなったときに日本はどうなっちゃうのか穀物が来なくなったときにね

 山地酪農の生みの親、猶原恭爾博士。日本の七割を占める森林を牧場に活用しようと訴えました。猶原博士が説いた山地酪農を厳密に受け継いでいるのはお父さんたち田野畑村の2軒、それに四国の一軒の農家だけです。山地酪農の牛乳には、ガンの予防やダイエットに効果がある共役リノール酸が一般の3倍以上含まれ、牛乳本来の良さが活きています。

しかし、草だけで育てる山地酪農の牛が出す牛乳の量は一般の農家の三分の一以下です。

(登志子さん)結婚して 11月に結婚して1番初めの乳代農協から来るんですよね明細書と言うかいくら手取りがありますって。おいこれ今月のだぞってくれたんですお金じゃなくて紙を見たんですね、そしたら手取り7円って書いてあったえっこれ7円ってゼロが足りないんじゃないのってお父さんに

  このままでは夜逃げは避けられない。お父さんは一大決心をしてプライベートブランド牛乳の生産を始めることにしました。

  決心してわずか3か月後のことです。念願のプライベートブランド牛乳の生産が始まりました。猶原恭爾博士が訴えた山地酪農の名。それがお父さんの手によって形になりました。牧場を開いて二十年目のことです。

  標高400メートルから500メートルの山間に広がる吉塚農場。 寒いときには氷点下15度を下回ることもあります。そんな厳しい冬も牛は外で暮らしています。

 元気なのは牛だけではありません。 お父さんが伐採した木は薪ストーブの焚き木となります。子どもたちは切った木を集め母屋へと運びます。


 シリーズ「酪農大家族 30年の記録」。来週は子どもたちが成長し、父親と厳しく対立する姿をお伝えします。

最終更新日:2025年1月14日 19:06
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