【特集】酪農大家族30年②親孝行姉妹の歩み
今週シリーズでお伝えしている田野畑村の酪農大家族の30年。2回目は吉塚家の2人姉妹都さんと令子さんの歩みです。
自前の餌だけで牛を育てる山地酪農を実践している吉塚さん一家。重い草を運ぶ中心は長女・都さんです。私たちが取材を始めた30年前。都さんはまだ中学生でした。台所の仕事もこなしていた都さん。そんな毎日の中で都さんは将来への夢を育んでいました。
都さん
「本、ヘレンケラーの本を読んで眼とか耳とか聞こえなくてもできるということを教えたいというかそういうのをしたいなと思って」
安全でおいしい自分の牛乳をプライベートブランドで生産し売りたい。1996年、父・公雄さんの挑戦が始まりました。この年の3月、盛岡のデパートで行われた試飲会で、都さんはお父さんの夢を叶えるため一生懸命お手伝いをしていました。
公雄さん
「牛乳飲んでおいしいなまずいなだけじゃなくて、温まるような 心がそういう牛乳を作りたいと思うしそういう牛乳の味を感じてほしいな そう思います」
高い所では標高500メートルもある吉塚農場。この厳しい寒さが丈夫でたくましい牛を育てます。そして子どもたちも。
二女・令子さんはこの時まだ小学生。凍える手でたき木を運んでいました。5男2女の吉塚家。男の子も女の子も力仕事に精を出します。雪にも負けず 寒さにも負けず。
子どもたちは小学校まで4キロの道を毎日毎日駆けていきます。長女・都さんは、幼いころからの夢をかなえて地元の老人ホームで介護の仕事に就きました。この後、難関のケアマネジャーの資格も得ました。そして23歳の時吉塚農場に実習に来た浅野宜雄さんと結婚しました。
都さん挨拶
「いつもおいしいご馳走はなくても家族みんなで食べる食事だから、いつもおいしくて うれしくて皆が元気に笑っていられたんだよね。仕事でも 牛のこと サイロ詰め乾草採り 肥まきみんな家族でやるから、仕事を終えたときの喜びもうまくいかない時の悲しみもつらさもみんなで分かち合えて来たんだね。たくさんの人たちに支えられて田野畑山地酪農牛乳ができて、たくさんの皆さんに喜んでいただけるようになって、お父さんの目指していることを家族みんなで支え向かってやっていることに誇りを持てるようになってきたような気がします」
浅野さんは、お母さんがいる岡山県から遠く離れた田野畑村で山地酪農をすることになりました。
二女・令子さんはお兄さんやお姉さんが出た地元の岩泉高校田野畑校を卒業する日が来ました。
令子さん卒業生代表挨拶
「私たちは常に少人数でも諦めず、あらゆることに挑戦し田野畑校を盛り上げたいという思いを持ちながら仲間とともに全力であらゆることに取り組みました」
令子さんが高校を卒業した同じ年の8月、都さんは二人目の赤ちゃん長男・誠くんを出産しました。3780グラムの立派な赤ちゃんです。
このころ都さんは深い悩みを抱えていました。夫・宜雄さんのお父さんは早く亡くなり、お母さんは遠く離れた岡山県で一人暮らしをしていました。年老いていくお母さんをいつまでも一人にしておけない。住み慣れた田野畑を去る決心をしました。
都さん
「だから私はそれこそここで大人数の中で育って、逆に今度はお母さんとか宜さんに家族 どういうふうに育ってきたかわからないけど、また暖かい家族 家庭を 一緒に経験していきたいなそういうふうな家庭を作りたいなと思いますね」
朝早く 都さんは夫が待つ岡山県笠岡市に旅立っていきました。お父さんとお母さんは盛岡まで送っていきました。
2015年、二女・令子さんが結婚しました。お相手は山地酪農牛乳のパッケージをデザインした山崎文子さんの長男・拓哉さんです。令子さんは姉・都さんと同じように介護の仕事に就き、難しいケアマネ―ジャーの資格も取っていました。
配達「こんにちは 山地牛乳ですお世話様です 失礼します」
しかし、働き手がなくて困っていた山地酪農牛乳の配達や事務の仕事をするため、介護の仕事は休業しました。
「令子ちゃんとは小学校に上がる前からのお付き合いなんだけど、そうなんですよね30年と言ったら私今35で今年6になりますから早いですよね 私まだ気持ちは10代なんですけど、そういうところ父に似てますよね。わっはっはっはっは。やっぱり父が始めたことをなんとかあのー発展できるように、今はそういうふうに今は不思議と山地の良さとかもっと知りたいなと、今は自分がそれを思っているのも不思議なんですけど携わってこそそう思えたのかと思いますし」
3人の母となった令子さん。今年、田野畑とは別に盛岡にも事務所を構えた田野畑山地酪農牛乳株式会社。令子さんは盛岡の責任者として弟で社長の雄志さんを支えながら、仕事に家庭にと忙しい日々を送っています。