特集・昭和レトロ①岩手に残る昭和の面影
2025年は、昭和が1926年に始まってちょうど100年の節目の年になります。
そこでプラス1では3回のシリーズで岩手に残る昭和の面影をお伝えします。遠藤記者の取材です。
昔懐かしい万国旗で訪れた人を迎えてくれる商店街。
古い建物が数多く残っている一関市千厩町。
歴史的な街並みが残る盛岡市鉈屋町。
久慈市の中心街で毎月3と8のつく日に開催される市日は360年の伝統があるとも言われています。
昭和の時代の市日。今の10倍以上の人が出店していたそうです。
街の駅・久慈柏木美子企画営業課長
「当時は駅のほうまでズラーっと店が並んでいた。今は規模が縮小して20軒ないぐらいになってしまった。当時は本当ににぎわっていた」
道の駅くじにあるレトロ館。昭和30年代の懐かしいおもちゃなど3000点以上が展示されています。
ここに来ると今は60歳以上になった人たちの子どもの頃の暮らしに触れることができます。
■鉄人28号
遠藤&柏木さん 「鉄人28号ですね。みなさんこの前で写真を撮ります」
レトロ館の展示品は2022年に80歳で亡くなった中野正利さんが一人で集めたものです。
柏木美子課長
「(中野さんは)金田亘平という名前でCDを出しているので芸名なんですけど、倉庫がいくつもあって倉庫にいっぱいコレクションが詰まっていて」
Q.個人コレクションということでびっくりしますね
「びっくりします。家が何軒建つんだろう1万点以上は軽くありますので」
花巻の温泉街にほど近い所にある山の駅・昭和の学校です。ここは2012年に閉校した前田小学校の校舎を活用して20万点もの昭和のおもちゃや生活用品を展示しています。昭和のものを展示している施設の中では全国最大規模で、校長の照井さんが主に東北を回って集めました。
照井正勝 校長
Q.どうしてこういう学校をつくろうと思ったんですか?
「一番は廃校がもったいないということ、それを地域の活性化に有効に利用できればいいなということで、こういうことを考えました」
Q.20万点を超える展示物を集めるのは大変だったのでは?
「好きというか昭和が大好きなものですから、ついつい見ればこれも展示したい、あれも展示したい、ということで、喜んでくださる皆さんの顔が浮かんできます」
学校には昭和30年代とみられる子どもたちの姿や家族の様子を撮影した写真も展示されています。
照井校長
「(昭和の時代は)みんな希望に燃えていました。貧乏でしたけど、やる気満々で今の子どもと目の光が違いました。最近若い人が昭和のこと好きだって聞きますけど、温故知新じゃないですけど、そういう感じで皆さんに喜んでいただいて感動してもらったりね、新たな発想があるようです」
二戸市浄法寺町の山あいにあるみちのく記念館。ここには昭和の時代のバイクが所狭しと並んでいます。
ホンダCBX1000 (1983年型)昭和58年型。40年以上前の1000CCのバイクです。欧米でも大変な人気となりました。
(ホンダCB550F白バイ1974年型)昭和49年型の白バイ。県警が実際に使っていました。
みちのく記念館小船浩幸事務局長
「(昭和のバイクは)構造も簡単で、誰でもいじれる昭和って何かイケイケで将来は明るいというメッセージがあちこちから聞こえてきたような気がしますね」
小船さんは、第二次世界大戦で使われていたウクライナ製のドニエプルというサイドカー付きのバイクを持っています。13年前にはドニエプルで稲庭高原を走りました。
小船さん
「作りも第二次大戦で使われた軍用で使われたバイクなのでがっちりして優雅な感じがしました
Q.今もあるんですか
.今も預けています
Q.また乗ってみたいと思いませんか
A.思います
二戸市役所の浄法寺総合支所には、天台寺住職を務めた瀬戸内寂聴さんの記念館があります。僧侶として活動するとともに作家としても数多くの著書を残した寂聴さんは天台寺にいても執筆と説法を共にこなす多忙な日々を送っていました。
■寂聴さんの説法(昭和63年)
「これは私一人の力では到底できることではありません。縁ができまして おかげさまでそれまで知らなかった東北の文化に触れることができました。それからまた今まで知らなかった東北の人たちの熱い人情に触れることができました」
寂聴さんは18年間天台寺の住職を務め、その後も岩手を応援し続けて4年前、99歳で亡くなりました。