山形県内でも100人の死傷者が出た「新潟地震」 発生から60年に合わせ小学校で追悼式
60年前の1964年6月、山形県内でも100人の死傷者が出た「新潟地震」が発生しました。当時、敷地内の建物にいた園児3人が犠牲になった鶴岡市の小学校では、発生した16日に合わせ14日、犠牲者の追悼式が行われました。
いまから60年前の1964年6月16日午後1時1分、新潟県沖を震源とするマグニチュード7・5の地震が発生しました。この「新潟地震」で、県内では、酒田市と新庄市で震度5を観測し、死者9人、けが人は91人に上りました。
当時のYBC特別番組より「鶴岡市京田小学校の幼児園の木造2階建ての校舎が倒れ、48人の園児のうち17人が校舎の下敷きになりました」
当時、鶴岡市の京田小学校では、敷地内にあった現在の幼稚園に当たる「幼児園」の建物の下敷きになった園児3人が亡くなりました。
地震の発生から16日で60年となるのを前に京田小学校で、追悼式典が行われました。
式には、在校生131人と地区の2つの保育園から30人余り、さらに地区の人たちなどあわせておよそ200人が参列。献花台に花を手向けました。児童を代表し6年生の佐藤柚希さんが追悼の言葉を述べました。
6年佐藤柚希さん「このいつもの生活を守れるように、時々家族と防災について話をして災害に備えていこうと思います。そして、今ある命に感謝しながら一日一日を大切にしていきたいと思います」
式では、亡くなった子どもたちの冥福を祈って黙とうをささげた後、全校児童が「いのちの歌」を斉唱しました。
当時5歳の弟を亡くした吉田仁さん(68)「6月16日になるとその日のことを思い出す。余震がだいぶ続いて夜も外で寝たり、また中に入って亡くなった弟の横に寝たりという記憶しかあまりありません。ただ母親とかが泣いている声だけは今でも思い出にあります」
京田小学校では、毎年6月に追悼式に加えて、大地震を想定した避難訓練を実施するなど防災への取り組みを続けていくということです。