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≪パリ五輪の裏側②≫ミッションは選手の家族を探せ!"名物"スリにも遭遇 "平和の祭典"取材の内幕

2024年8月13日 8:00
≪パリ五輪の裏側②≫ミッションは選手の家族を探せ!"名物"スリにも遭遇 "平和の祭典"取材の内幕

 “花の都”フランス・パリで開催された2024年オリンピック。パリでの開催は100年ぶり3度目となったが、街では様々な試みがみられた。取材班が身を持って体験した“花の都”の素顔や大会の裏側を2回にわたって報告する。(後編/報告:読売テレビ 櫻茜理記者・足立夏保アナウンサー)

 パリは緯度が高いため、日の出から日の入りまでの時間が非常に長い。日が落ちてくるのは夜の9時ごろ。つまり、夜も明るく、遅くまで取材ができる。
 一方、日本との時差は約7時間。昼の情報番組で中継をするために、毎朝5時にはホテルを出る必要があった。少し寝ぼけながらも、急いで中継先へ向かう毎日だった。

 早朝は人通りが少ないため、街から中継するときでも、ベストポジションを確保できた。この日、現場で中継の準備を進めていると、何やら水しぶきのような音が聞こえてくる。見ると、オレンジのランプを光らせた車が迫って来ていた。

 それは道路を清掃する高圧洗浄の清掃車だった。清掃車は前方に取り付けられた回転式のモップで道路を隅々まで磨き上げると、そのまま去っていった。迫力に圧倒されたものの、清掃後の道路はゴミ一つなくキレイな状態となっていた。

 街を歩いていても、ほとんどゴミは落ちていなかった。清掃員がこまめに掃除をしてくれているのだろう。平和の祭典を支える人たちの存在を感じる日々だった。

■物価高騰と円安…食事はおにぎり

 取材班は今回、日本から炊飯器を持っていった。その理由はやはり円安だ。大人5人で、約10日間。毎食外で買って食べるのはなかなか厳しい。スーツケースの半分以上は、カップラーメンやレトルト食品で埋め尽くされていた。初めは「せっかくパリに来たのに…」と嘆いたが、日が経つごとに不思議と米を欲するようになった。

 深夜、疲れ果てながら全員で食べたレトルトカレーとお味噌汁は、体中に染みわたった。部屋に湯沸かし器がなかったため、炊飯器でお湯を沸かしたこともあった。
 お米の美味しさを再確認した翌日からは、エネルギー源として毎日おにぎりを握って持ち歩くようになった。取材が終わった夜、部屋でお米を炊くのが日課となった。

■パリの“名物”スリにも遭遇

 とはいえ、何度かは店を利用する機会はあった。取材と取材の間にパソコンで作業をしようと、地元のカフェに入った。渡されたメニューを見ると、思わず目を疑った。
 「coffee(コーヒー)5€」「Cafe au lait(カフェラテ)6€」当時の為替は1€あたり約170円。ざっくり計算すると、カフェラテで約1000円になる。物価の高騰を身にしみて感じた。

 泣く泣く商品の注文を済ませ、店内で仕事をしていると、すぐ近くの席に黒人の女性が座った。明らかにカフェの商品は買っておらず、スーパーで買ったようなパンを食べながら、周辺を注意深く見渡していた。しばらくすると、この女性に声をかけられた。

 「あなたたちはイエス様を信じますか? もし良ければ私たちと一緒に祈ってくれませんか?」

 女性の後ろには、先ほどまではいなかった女性が立っていた。これはスリかもしれない…と直感的に思った。
 実は取材班は事前に、パリ支局に駐在経験がある上司から「パリはスリや置き引きが多いため注意するように」と言われていた。思わず手元のパソコンを強く掴んでいた。

 「私たちよく分からなくて…」そう返すと、少し悔しそうに2人は去っていった。

 一方、現地のメディアは「オリンピック期間中はスリが急激に減っていて、パリの交通局なども喜んでいる」という記事を掲載していた。厳重な警備のおかげで、私たちは被害にあうこともなく、取材に専念できた。こんなところにも、陰でオリンピックを支える人たちがいた。

■選手本人の取材は不可能、狙いは家族!

 今大会、日本が獲得したメダルは45個。海外で開かれたオリンピックとしては過去最多のメダル数を更新した。取材班は、柔道の角田夏実選手や阿部一二三選手、体操の男子団体・個人総合と、チケットを購入し、競技場で観戦した試合の全てで、金メダル獲得という感動の瞬間に立ち会うことができた。

 しかし、選手への取材はできなかった。
 というのも、オリンピックでは、競技場や選手村で選手を取材するためには「アクレディテーションカード」という資格認定証が必要だ。しかし、「アクレディテーションカード」は国ごと、放送局ごとに割り当てられる数が決まっていて、取材班は持っていなかった。

■日本人の観客の中から選手の家族を探す、地道な取材の末に…

 しかし、パリまで来て、何も取材しないわけにはいかない。そこで、狙いを定めたのが選手の家族だった。
 試合会場には、選手の家族が日本から応援に来ているはず。そこをつかまえて、インタビュー取材を試みる。番組への生出演を依頼する。それが、選手本人への取材ができない私たちに番組から課せられたミッションだった。

 とはいえ、選手の家族と面識がある訳ではない。そこで、試合会場内では、観戦や応援と並行して、家族探しに全力を傾けた。
 まずは会場全体を見渡し、日本人の観客を探す。次に、顔の特徴や雰囲気を見ながら、ひとりずつ声をかけていく。もちろん、大半は全く関係のない人たちで、何度も頭を下げた。

 筆者(=櫻)は、最近まで大阪府警を担当していたが、パリまで来てやっていることは事件の取材と同じだった。そんな中、体操の岡慎之助選手の家族や杉野正尭選手の家族を見つけ、取材をすることができた。陰ながら支えて来られた家族だからこそ感じる喜びを伺うことができ、感銘を受けた。

 取材班が取材できた競技はほんのわずかだったが、街で日本代表のユニフォームを着て取材をしていると数えきれないほどの外国人に「日本ガンバレ!」と声をかけられた。特に、フランスでも人気な柔道の会場では、日本勢がメダルを取ると「日本が誇るスポーツで日本人がメダルを取るのは私たちも嬉しい」と一緒に喜んでくれる人ばかりだった。
 「平和の祭典」と呼ばれるオリンピックだが、その言葉の意味を身にしみて感じる約10日間となった。

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