「気持ちと体のギャップが続く中で世界一目指せない」バドミントン元世界ランク1位の桃田賢斗が日本代表引退を発表 パリ五輪へのリベンジ誓うも届かず
日本代表の引退を発表したバドミントンの桃田賢斗選手(写真:新華社/アフロ)
バドミントンの桃田賢斗選手(29)が18日、日本代表を引退することを発表しました。
桃田選手は黒のスーツと淡いブルーのネクタイで登壇すると、まず「今月末のトマス杯を最後に日本代表引退を決意したこのタイミングで自分の口から感謝の気持ちを伝えたいと思いこのような場を設けさせていただきました」と説明。
日本代表引退の理由を聞かれると、「2020年1月の交通事故から苦しいこともたくさんありましたし、自分の中で思うようなプレーだったり、自分なりに試行錯誤してやってきたつもりだったが、気持ちと体のギャップが続く中で、このまま世界一を目指そうっていうところまでいけないと判断したことと、自分が動けるうちにジュニア選手、競技の人たちと羽を打つ時間がほしいなと思い、代表を引退しようと決意しました」と話しました。
桃田選手は15年の全日本総合選手権で初優勝を飾ると、国際大会でも世界バドミントン選手権で18年、19年と2連覇を成し遂げます。日本のバドミントンを引っ張る存在となりました。
これらの活躍を受け、18年9月から日本男子初の世界ランキング1位に上り詰め、その後3年以上首位を守り続けました。
20年の1月、マレーシアマスターズを制した桃田選手でしたが、帰国間際に不慮の交通事故に遭います。右眼か底骨折などのケガを負い、試合復帰まで1年10か月と長い時間を要しました。それでも、復帰戦となった全日本総合バドミントン選手権で優勝を果たし完全復活を遂げました。
その翌年、五輪初出場で挑んだ東京五輪では金メダル大本命と言われていましたが予選リーグで敗退。リベンジを誓いパリ五輪代表選考会を戦ってきました。23年の全日本総合バドミントン選手権で6度目となる優勝を果たすなど奮起していました。
パリ五輪代表に黄色信号がともっていた際も「パリ五輪はすごい出たいですし、出たい気持ちもあります。出られなかったとしても、僕のバドミントン人生はそこで終わりではない」と話していました。
日本から最大2枠の出場を争っていましたが、現在ランキング7番手の桃田選手はパリ五輪出場の可能性が消えています。
桃田選手は27日から開催される国別対抗戦であるトマス杯を最後に日本代表を引退することとなります。
桃田選手は黒のスーツと淡いブルーのネクタイで登壇すると、まず「今月末のトマス杯を最後に日本代表引退を決意したこのタイミングで自分の口から感謝の気持ちを伝えたいと思いこのような場を設けさせていただきました」と説明。
日本代表引退の理由を聞かれると、「2020年1月の交通事故から苦しいこともたくさんありましたし、自分の中で思うようなプレーだったり、自分なりに試行錯誤してやってきたつもりだったが、気持ちと体のギャップが続く中で、このまま世界一を目指そうっていうところまでいけないと判断したことと、自分が動けるうちにジュニア選手、競技の人たちと羽を打つ時間がほしいなと思い、代表を引退しようと決意しました」と話しました。
桃田選手は15年の全日本総合選手権で初優勝を飾ると、国際大会でも世界バドミントン選手権で18年、19年と2連覇を成し遂げます。日本のバドミントンを引っ張る存在となりました。
これらの活躍を受け、18年9月から日本男子初の世界ランキング1位に上り詰め、その後3年以上首位を守り続けました。
20年の1月、マレーシアマスターズを制した桃田選手でしたが、帰国間際に不慮の交通事故に遭います。右眼か底骨折などのケガを負い、試合復帰まで1年10か月と長い時間を要しました。それでも、復帰戦となった全日本総合バドミントン選手権で優勝を果たし完全復活を遂げました。
その翌年、五輪初出場で挑んだ東京五輪では金メダル大本命と言われていましたが予選リーグで敗退。リベンジを誓いパリ五輪代表選考会を戦ってきました。23年の全日本総合バドミントン選手権で6度目となる優勝を果たすなど奮起していました。
パリ五輪代表に黄色信号がともっていた際も「パリ五輪はすごい出たいですし、出たい気持ちもあります。出られなかったとしても、僕のバドミントン人生はそこで終わりではない」と話していました。
日本から最大2枠の出場を争っていましたが、現在ランキング7番手の桃田選手はパリ五輪出場の可能性が消えています。
桃田選手は27日から開催される国別対抗戦であるトマス杯を最後に日本代表を引退することとなります。