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陸上・田中希実 親子で突破した4分の壁

2021年10月30日 0:30
陸上・田中希実 親子で突破した4分の壁

東京オリンピック・陸上1500m準決勝で日本人初の3分台を記録し、決勝では8位入賞を果たした田中希実選手(22)。しかし、小さい頃はかけっこが苦手で、100mは全力で走っても20秒前後のタイムだったといいます。

そんな田中選手がオリンピックに出場し、日本人初の1500m3分台を記録するまでに成長したのは、コーチである父・健智(かつとし)さんとの本気のぶつかり合いがありました。その田中選手に『news zero』の弘竜太郎アナウンサーが話を聞きました。

弘アナ「プライベートのことでもいいんですけど、これだけはどうしても譲れないんだっていうものは?」

田中選手「自分の場合は読書が好きで、本を読み出したらなかなか動かなかったりするので、本を読む時間は絶対ないといけないです」

弘アナ「オススメのジャンルは?」

田中選手「大草原の小さな家シリーズとか赤毛のアンといった、日常の中で子どもたちが成長していく感じがほのぼのします」

現在、同志社大学に通う田中選手は、レース前にも本を読むほどの読書好き。それでもひとたびトラックに立つと、驚異のスパートを見せる爆速ランナー。最後の最後まで全力を出し切って走ります。

そんな田中選手が陸上を始めたのは両親の影響でした。父・健智さんは元3000m障害の実業団選手。さらに、母・千洋(ちひろ)さんも北海道マラソンで優勝経験のあるランナーです。田中選手は「日常の中が普通に陸上だった。3歳くらいから遊びみたいな感覚で親子マラソンに出ていたので、楽しかったんじゃないかな」と幼少期を振り返ります。しかし、1つ意外なことが…。

弘アナ「短距離走はどっちかというと苦手な方だった?」

田中選手「100mは20秒を切るか切らないかが全力ですね」

弘アナ「20秒!? それはいつぐらいの記録ですか?」

田中選手「小学校5年生とか6年生。いくら走っても20秒が切れなかったです」

弘アナ「中距離を走ってみて、感覚はやっぱり違うものだった?」

田中選手「100m20秒が全力。でもそのままのペースで3キロとか全然走れていたので、それが中距離に生きています」

100mは20秒ととても遅い記録も、そのペースでいつまでも走れたという田中選手。中学生の時には、1500mで日本一に輝きます。

そして、大学進学後コーチに就いたのは父・健智さん。その練習は、息が荒くなるほどに追い込むハードなものです。

田中選手「父だからこそ、さじ加減というか。私ができるギリギリがわかる。他の選手とコーチにはない関係があるんじゃないかな…。父に見てもらえるようになって、より力がつくと思います」

その練習の成果もあり、去年7月、3000mで18年ぶりに日本記録を更新。翌月には1500mでも14年ぶりに日本記録を更新しました。

しかし、東京オリンピックを控えた今年5月の練習中。父から田中選手へ厳しい言葉がかけられます。

父・健智さん「泣いたら速くなるんか! ええかげんにせい。もう練習やめる、終わる。せんでええわ」

田中選手「泣いてない」

オリンピック代表に決定後、以前に比べ弱気な走りをしていた田中選手。スランプにおちいり、もがく娘に父は…。

父・健智さん「負けることにビクビクしてるから、こんなことになる」

田中選手「それでも逆にチャレンジャーやと思って」

父・健智さん「思ってないと思う、負ける理由を探している。負けたらどうしようしか考えてない」

厳しい言葉の数々。しかしそれは、父でなければ伝えられない言葉でした。

父・健智さん「慰めるだけではいけなくて、なぜダメかというのを一緒に悩んで、(選手が)逆のことを言ったらそれに対してそうじゃないだろうと厳しい部分も出さないといけない。親子の関係を飛び越して(コーチに)選んでもらった。認めてもらったことには、答えないといけない」

そんな父の思いを、田中選手もしっかりと受け止めていました。

田中選手「自分は目の前のことしか見られないので、その分、父が考えているのがありがたいです」

そして田中選手と健智さんは東京オリンピックである約束をします。それは…。

父・健智さん「(1500m)本気で、準決勝で3分台いこう」

1500mは世界との差が大きく、オリンピックで日本人が出場すらできていない種目。そこで目指したのが「3分台」でした。

田中選手「漠然と1500m頑張りたいっていう気持ちになった。父が具体的な部分を言ってくれたので、それがすごく良かったかな」

父・健智さん「普通ならバカなこと言ってるって言われるけど、2人ともが本気になっていました」

迎えた東京オリンピック、陸上1500m準決勝。父・健智さんはスタンドから見守ります。大舞台で挑む、4分の壁。田中選手はスタート直後から先頭集団につけると、400mでトップに立ちます。その後、順位を落としますが、ラスト1周も世界の猛者にくらいつく田中選手。そして日本人で初めて4分を切る3分59秒19のタイムを出し、決勝では8位入賞を果たします。

田中選手「今まで常識を覆すというか、自分の中の常識も覆すことができて、オリンピックという舞台が大きかったです」

レース後、父と交わした会話は…。

田中選手「本当によくやったねというような、区切りになる会話はあんまりしてなくって。パリオリンピックに向けてより世界で戦えるようになりたいなって」

父・健智さん「新たな課題・宿題が見つかった。また新しい世界を見るっていうワクワクさの方が増したのかな」

最後に、田中選手が大切にしている言葉を聞きました。

田中選手「父がくれた『一志走伝』という言葉。ひとつの志を走りで伝える。目標に向かってまっしぐらに走っていく(姿勢を)、見ている人がいろんな受け取り方をしてくださって、私が思ってないようなところまで、気持ちの部分が波及して元気・感動をもらって、また頑張ろうと思える。そういう気持ちで、今後も頑張っていきたいです」

■写真:家族より提供
(田中希実選手と父・健智さん)