公式戦133連勝中のレスリング絶対女王に試練 家族で乗り越えパリ五輪へ! 最後の食事会で金メダル誓う
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中学2年生から国内外で負け知らずの133連勝中! あの吉田沙保里さんの119連勝という記録をこえた、向かうところ敵なしの“最強女子大学生”が、試練を乗り越え、家族と共に金メダル獲得の夢を掴もうとしています。
「自分の夢は家族の夢」 家族で戦う夢のパリオリンピック
向かうところ敵なしの133連勝中で、パリオリンピックの金メダル最有力候補ですが、朱理選手がオリンピックを前に語ったのは、意外な言葉でした。
レスリング女子53キロ級 藤波朱理選手:
「私のレスリング人生は、連勝記録を言ってもらうことが多くて、順風満帆に見えるかもしれないですけど、実際は決して順風満帆ではなく・・・」
4歳からレスリングを始めた朱理選手。その頃からずっとそばで指導をしてきたのが、高校教師をしていた父・俊一さんです。
小学生の頃から掲げていた「オリンピックで金メダルをとる」という夢は、朱理選手が一人で見ているものではありませんでした。「父の夢は自分の夢、自分の夢は家族の夢」と話すほど、家族全員の夢として共に歩んできたのです。
娘の夢を全力で応援するため、3年前、俊一さんは32年勤めてきた高校教師を早期退職し、コーチ業に専念。収入は半分になりましたが、それでも「全てを犠牲にして、同じ目標に向かって高みを見てみたい」と、娘と夢を追いかける道を選びました。
高校卒業後、東京の日本体育大学へ進学した朱理選手は、三重の実家に母・千夏さんを残し、俊一さんと2人暮らしをしながらオリンピックを目指しました。家事は主に俊一さんが担当しましたが、師弟関係はあっても年頃の娘と父。ちょっとしたことで揉めたり、俊一さんに反抗したこともあったと言います。
それでも、去年の世界選手権で優勝してパリオリンピック行きを決めた瞬間、朱理選手はマットに俊一さんを呼びタックル、そして一緒にウイニングラン・・・。
その光景をテレビで見ていた千夏さんは「よかったね。2人暮らしもつらいやろうけど、こんなの報われるよね、お互いに」と思わず涙・・・。
また一つ、家族の絆が深まった瞬間でした。
親子を襲った“試練” パリオリンピック出場の危機
そんな藤波家に、ある変化が訪れました。今年3月1日、三重の実家を訪ねると、千夏さんが慌ただしく荷造りをしていました。
朱理選手の実家は高校レスリング部の寮にもなっていて、千夏さんが寮母を務めていました。そのため千夏さんだけが三重に残っていましたが、最後の寮生が卒業し、東京で3人一緒に暮らすことになったのです。
これでパリオリンピックに向けて近くでサポートができると、期待に胸を膨らませて東京へ引っ越した千夏さんでしたが、家族3人での生活が始まって間もなくの3月14日、予期せぬ事態が。朱理選手が練習中に左肘を脱臼したのです。
そのときのレントゲン写真を見ると、本来なら重なっているはずの肘関節が、大きくずれているのが見てとれます。
実はこのとき、俊一さんは三重にいたので、対応したのは千夏さんでした。
母・千夏さん:
「すぐ道場に来てくださいということだったので、(家から)1分ぐらいで行けるので、すぐ行ったら『ハンカチを口に入れて』って言いわれて食いしばってた。(娘は)痛みに強いんですよね。それなのにああいう感じだったから・・・」
脱臼で損傷した肘の靱帯を完全に治すため、悩んだ結果、朱理選手は「手術」を決断。オリンピックを5か月後に控えたタイミングでした。
レスリング女子53キロ級 藤波朱理選手:
「オリンピック・・・って思ってパニックというか。オリンピック・・・オリンピック・・・どうしようオリンピックって」
かつてない焦りの中、手術後は肘を問題なく曲げられるようにするためのリハビリから始め、上半身が動かせないため下半身の肉体強化にも励みました。
想定より早い回復で、手術から2か月後にはレスリングに復帰。医師と相談しながら練習を再開することができたのです。
手術後の2か月間、朱理選手の支えになっていたのは、やはり家族でした。
レスリング女子53キロ級 藤波朱理選手:
「母が3月から東京に来てくれて、ある意味ラッキー。すぐそばにいてくれて、少しネガティブになっていたときでも、母が“今でよかったんやに”とか“絶対に神様は朱理の見方だよ”とか、そういった言葉をかけてくれたので、自分もすぐに切り替えられたなと思います」
近くにいなかった俊一さんからは特に何も言われなかったと笑う朱理選手ですが、実は俊一さんともこんなメッセージのやりとりをしていたようです。
朱理選手『必ず強くなって復帰します』
俊一さん『これを乗り切って一回り強くなりましょう! 3月でよかった』
パリオリンピックを控えた最後の夕食会 家族で誓った決意
6月、朱理選手は家族3人で行きつけの焼き肉店へ向かいました。実は、この日は特別な日。朱理選手が減量に入るため、オリンピック前に3人で食べる最後の外食なのです。
そんな日でも、食事中の話題はレスリングのこと。去年の世界選手権で対戦した、グズマン選手について話していました。準々決勝で対戦し、開始早々5点を奪われ、朱理選手が唯一得点を与えてしまった、現在世界ランク1位のエクアドルの選手です。
「(グズマン選手と)やりたい! もう1回やろうね! もう1回やってぶっつぶそう。周りには圧勝とか言われるけど泥臭く。簡単にはいかんと思うけど、泥臭く勝ちにいきたい」と朱理選手が話すと、「(内容は)何でもいいんだよ。勝ちにこだわる」と俊一さんも応えます。
そして、オリンピックで金メダルを取って、またおいしい焼き肉を食べに来ようと家族で誓いました。
熱く決意を固めた朱理選手。7月には地元の母校・いなべ総合学園高校で最終調整の練習を行いましたが、もう左肘を気にすることはありませんでした。完全復活です。
レスリング女子53キロ級 藤波朱理選手:
「本当に自分にとって(父母)2人はなくてはならない存在で、オリンピックの舞台は自分が活躍することで最高の恩返しになると思うので、金メダル、それを獲得して、皆さんにレスリングを通して伝えられるものがあればと思います」
朱理選手の金メダルへの挑戦は8月7日(水)から始まります。全力で応援しましょう!