親子パラスイマーに密着!「息子は日本パラ育成選手」父も共に臨む全国の大舞台 その結果は…《長崎》
【NIB news every. 2024年11月1日放送より】
NIBが取材を続けているパラスイマーの高校生が、11月に行われた全国大会に親子で出場を果たしました。
父と息子、それぞれが掲げた目標の達成へ…。
大舞台への2人の挑戦に密着しました。
先月、佐賀県で行われた全国障害者スポーツ大会 = 通称「全障スポ」。
水泳の長崎県の代表に選ばれた 長崎日大高校1年 森田悠月さん 15歳。
(森田悠月さん)
「国体(= 全障スポ)に、(父と)一緒に出たいというのを最初から思っていた。一緒に泳ぎたかった」
悠月さんと共に出場するのが、父親の拓郎さん 42歳です。
(父 拓郎さん)
「目の前で金を頑張って取って、その姿を見てもらいたい」
親子で臨む “初の全国への舞台”。
それぞれが掲げる目標の達成に挑みます。
本番の1か月ほど前。
家族で一緒に長崎市の市民総合プールへ。
この日は、県の強化練習に参加しました。
(父 拓郎さん)
「悠月は今はれっきとした選手で、一緒に泳いでいいのかな。
一緒に泳げて嬉しい」
今年5月に行われた、国内トップクラスの大会で優勝した悠月さん。
日本パラ水泳連盟の育成選手にも選出され、将来パラリンピックへの出場も期待されている選手です。
悠月さんは右ひざから下がなく、左脚の骨の一部と両手指にも欠損があります。
父 拓郎さんも右手の中指に欠損があり、右ひざから下がありません。
悠月さんは、自分を水泳の道へと導いてくれた父と、同じ舞台に挑めることがとてもうれしかったようです。
(森田悠月さん)
「一緒に泳ぐこと自体が楽しみ。2人でメダルを持って写真撮るのが、1番したい。頑張ってくれるでしょう」
以前は悠月さんのサポートに徹してきた拓郎さんでしたが、今回、悠月さんが「一緒に出たい」と熱望。
拓郎さんもそれに応えて、県代表の2つの枠を親子で勝ち取りました。
(父 拓郎さん)
「肘、固定したまま?」
(森田悠月さん)
「最初のプルはね。プッシュは曲げた状態で、この辺曲げて手のひらで押すんじゃなくて、脇を締める感じ。最初 プルは前でかいて、最後 手で押すっていうよりかは、脇を締める感じ」
(父 拓郎さん)
「間近で一緒に泳ぐと見て気づくこともあるので、実際に泳ぎを見て、水中とか勉強になる」
以前は拓郎さんが指導していましたが、今では息子の成長を感じる場面が多くあり、学ぶことも多いそうです。
(父 拓郎さん)
「目の前で金を頑張って取って、その姿を見てもらいたいし、僕も息子の “大会新で金” っていう目標を、目の前で見たい」
(森田悠月さん)
「去年立てた “自分の自由形の大会新” を塗り替えて『金』をとること。親子としての目標は、2人で『金』取って帰ってくることが目標」
親子で目標を掲げて臨む、念願の舞台へ。
しかし、悠月さんの体には異変が起きていました。
(ながさきハートクリニック 坂井伸彰 医師)
「痛みが膝の外側と足首もものすごく痛いと、(カテーテル治療前は)言っていたけど…」
今年の夏頃、歩けないほど左足が痛むように。
学校を欠席する日もあったそうです。
(森田悠月さん)
「痛み自体は結構前からあったが、ひどくなったのは6月あたり。
水に入って、ちょっと動くのも痛いぐらいで。何もしなくても痛い時もあるぐらい」
3歳になるまでに5回行った大きな手術に加え、小学生のころから続けているハードな練習。
膝やふくらはぎ、足首の血管に、炎症や損傷が生じていたのです。
(ながさきハートクリニック 坂井伸彰 医師)
「以前、膝と足首の手術しているので、正常の足の方と比べると負荷がかかる部分は多くなっていると思う。
それによって炎症血管がずっと居座ってしまって、痛みを発する神経も出てきてしまって、歩くのもつらいというような症状が出たのでは」
母 舞奈さんは、初めての息子の姿に最悪の判断も頭をよぎったと話します。
(母 舞奈さん)
「日常生活を、通常通り送れないというのに不安があった。最悪、“切断” っていうところを考えた上で、他にも治療法がないかなっていうのを探していた」
(森田悠月さん)
「切断するのは、選択肢として残してはいたんですけど、もともとあるものがなくなるから、もし切断したら生活とかどうなるんだろうって思ってました」
悠月さんは、細いチューブを挿入して異常な血管にふたをする「カテーテル」治療を決意。
9月上旬に治療を行うと、1週間後には自分で歩けるまでに。
そして7割ほどの力を発揮できるまで回復し、本番を迎えます。
今年の全障スポの「水泳」は、3日間にわたり競技が行われ、全国から約300人が出場しました。
知的障害者と身体障害者、そして年齢、性別障害のレベルによって、クラスが分けられます。
初日のこの日は、拓郎さんが25メートル自由形に出場。
力強い泳ぎを見せ、目標に掲げていた優勝は逃しましたが、結果3位。
見事 銅メダル獲得で、一安心です。
(父 拓郎さん)
「本当は金メダルが欲しかったが、なかなか難しくて、銅メダルは獲れたのでよかった。息子からは頑張ってこいと言われたので、とりあえず結果を残せてバトンタッチはできたかな」
メダルを提げた父の姿に、悠月さんも笑顔がこぼれます。
(森田悠月さん)
「しっかりベストも出たし、念願のメダルも獲れて、うれしいのと、ほっとした気持ち。自分もしっかり自己ベストを出したい」
大会2日目は、拓郎さんが出場者1人だけの平泳ぎのレースに臨み、優勝。
そしてその後、いよいよ 悠月さんが50メートル自由形のレースに挑みます。
(森田悠月さん)
「結構体は調子いいと思います。大会新記録と自己ベスト。どっちも持って帰ってこれたら」
(父 拓郎さん)
「息子ならやってくれると思います」
悠月さん、この日 足の痛みはありません。
父からのエールも受け、目指すは31秒台。そして…
順調にいつも通りの泳ぎで、大会記録を “更新”。
優勝の金メダル獲得です。
ただ 目標タイムには、わずか0.03秒… 届きませんでした。
(森田悠月さん)
「ぎりぎりで(目標に)届かなくて、悔しい。少し(自分の泳ぎを)見直していかないといけないのかなって思う。
親子で1番いい色のメダルが獲れたというのは、とてもうれしい」
(父 拓郎さん)
「今回、 2人で出場という1つ夢が叶ったが、もう1つの夢は、2人で金を獲るというのが僕の中で目標だった。それが今回 達成できて個人的に良かった」
(森田悠月さん)
「最近 足の痛みも減ってきて、少しずつ使えるようになってきているので、速く泳げるように腕と足の動きをどちらも使えるようにしたい」
大会を通して、拓郎さんとの絆を より深めた悠月さん。
悔しさをバネに。
さらなる高みを目指し、親子で突き進みます。