将来の夢は “パラリンピック出場” 日本パラ水泳連盟の育成選手「高校生パラスイマー」の挑戦《長崎》
去年6月に放送したパラスイマー 森田 悠月さん。
今年1月から日本パラ水泳連盟の育成選手になりました。
高校生になっても、国際大会への出場を目標に挑戦を続けています。
6月、長崎市で行われた九州障がい者水泳選手権大会。
障害の種類や程度など17のクラスに分かれ、約130人が競いました。
力強い泳ぎを見せるのは、森田 悠月さん 15歳です。
(森田 悠月さん)
「元気もらえる。いい記録出せたのは地元だし、応援してくれたからこそ」
右ひざから下がなく、左脚の骨の一部と両手指にも欠損があります。
幼いころから始めた水泳で世界の舞台を目指しています。
この春、諫早市にある長崎日大高校に進学した悠月さん。
(カメラマン)
「授業は難しい?」
(森田 悠月さん)
「全然 わからん」
(森田 悠月さん)
「本当に知らない人ばっかなんですけど、人数も多いので いろんな人と触れ合えて毎日楽しい」
地元・長崎市を離れ 隣の市へ通う不安もありましたが、友だちに囲まれ充実した日々を過ごしています。
▼成長期の体に合わせて練習にも変化が…
練習は、週に6日。
大村市のスイミングクラブに通っています。
(森田 悠月さん)
「泳ぐ量も単純に増えたし、質が高いので本当にきつい」
コーチは、悠月さんを中学1年生から指導している柴田 浩志さんです。
(柴田 浩志コーチ)
「体が大きくなって大人に近づいてくるにあたって、上半身で前に進むという練習が 前よりも筋肉トレーニングではないが(増えた)」
将来の夢であるパラリンピック出場に向け、着実に力をつけている悠月さん。
日本パラ水泳連盟の育成選手にも選出され、今年5月には、全国大会で優勝しました。
▼両親の決断「切断する時が1番悩んだ」
2008年11月生まれ。
両足と指に生まれた時から障害があり、大きな手術も経験してきました。
(母 舞奈さん)
「切断する時が、1番悩んだ。両足を切断する方法があると先生に言われたが、どうにか自分の足を残してあげたい気持ちがあったから、お母さんたちは手術を選んだ」
(森田 悠月さん)
「お母さんたちのおかげで片足残って歩けたり、それこそ水泳とか泳げなかったかも」
手術から11年。
右脚の義足は体の成長にあわせて、約1年ごとに新調してきました。
(森田 悠月さん)
「単純に膝から下が短く、上半身が大きくなったら体重が増えて負担がかかりやすくなる。痛みやすくなった。中学校、小学校の時と比べて」
▼新たなトレーニングや家族の支援が後押し
泳ぎのレベルアップに向け、今年から週に一度通っている場所があります。
(指導)
「はい。3、4」
県内で唯一 パラスポーツトレーナーの資格を持つ、小森 峻さんにリハビリを受けています
(道ノ尾 みやた整形外科 小森峻先生)
「森田君の場合は、体幹とか股関節周囲が正常と同じように働くことができるので、そこをしっかり安定させた状態で、足のキックや上半身の動きというところにしっかり連動するトレーニングをしている」
懸命に頑張る悠月さんを見守るのは、母の舞奈さん。
通学のほか、プールやトレーニング先への送り迎えなど いつもそばでエールを送っています。
(母 舞奈さん)
「過保護なのかと思うことも多々あるが、今しかできないことかなと思うことがある。どうしても他の競技と違ってパラ競技はある程度付き添いが大事。いずれ自立はしていくが…」
▼夢に向かって一歩、一歩…
自己記録の更新を掲げ、迎えた「九州障がい者水泳選手権大会」。
しかし… 時折 咳をする悠月さん。
数日前に体調を崩してしまい、コンディションに不安を抱えているようです。
(森田 悠月さん)
「この前体調を崩したときに、首回りが苦しくて…」
(母 舞奈さん)
「頑張ってね」
家族の声援に後押しされて挑むのは、最も得意とする『400メートル自由形』です。
思い切り飛び込んだあと、懸命な泳ぎを見せ…。
そして最後はラストスパート。
タイム「5分20秒91」は、見事 “自己新記録”。
同時に大会記録も更新しました。
(森田 悠月さん)
「まさかこんな状態で、自己ベストを更新できるとは」
さらに初挑戦となった『100メートル背泳ぎ』でも、大会新記録で泳ぎ切り、家族や友人の応援に応えました。
(母 舞奈さん)
「みんなに褒められた、体つきとか。成長していると思う」
(森田 悠月さん)
「来年のアジアユースパラに出場と、その次の年にあるアジアパラ出場が目標。練習と高校生活の両立をしていきたい」
家族と共に挑戦を続ける高校生パラスイマー森田 悠月さん。
大きな夢に向かって力強く、泳ぎ続けます。