【特集】妻と語る白血病との闘い J1アルビレックス新潟・早川史哉選手 「生きてほしいよ」…家族の支えで病を乗り越え プロ10年目の決意《新潟》
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ハードなトレーニングを物語る充実した表情……宮崎キャンプで汗を流す早川史哉選手です。
粘り強い守備と巧みな駆け引きが持ち味。新潟市出身のディフェンダーは2025年にプロ入り10年目を迎えます。
アルビレックス新潟 早川史哉選手
「昨年、ルヴァンカップ準優勝で、リーグ戦はギリギリのところで残留という結果だったので、よりよく超えていかなければいけないという覚悟の年でもあると思っているので、そこに自分自身の力をしっかり注いでいきたい」
昨シーズンはセンターバックやサイドバックなどでJ1でのキャリアハイとなる公式戦21試合に出場しました。
2024年4月のFC東京戦ではJ1での初ゴールも記録。ディフェンス登録でありながらゴールへ向かっていく貪欲さも早川選手のストロングポイントです。そのルーツが……。
いまから22年前のサッカー大会。当時はチームのエースストライカー。
中学時代からアルビレックスの育成組織に所属、ビッグスワンでのプレーを夢見ていました。
Q.将来の夢は?
早川史哉選手(当時中学3年生)
「もちろんアルビレックスでプロになってサッカーしたい」
大学を経て念願だった地元クラブへの入団を果たしました。身長170センチと大柄ではないものの守備の安定感が評価されルーキーながら開幕戦で先発出場。
ビッグスワンでのプレーは夢がかなった瞬間でした。
ところがこの頃から体調に異変が。
アルビレックス新潟 早川史哉選手(2017年当時)
「普段だったら、いつも試合が終わったらすぐに寝られるようなタイプだったんですけど、なかなか寝られないとか、負荷以外の何かあるのではないかとも思った」
検査の結果は「急性リンパ性白血病」血液のガンでした。
隔離された病室で始まった先の見えない戦い。抗がん剤治療の副作用で髪の毛は抜け落ちました。
アルビレックス新潟 早川史哉選手
「味覚も変わるんですよ。とりあえず早く次の日が来ないかな、1日を終えることだけを考えていました」
抗がん剤治療を行う前に医師からあることを告げられました。
アルビレックス新潟 早川史哉選手
「子どもができなくなるかもしれないけど(子どもを授かる)、可能性をより広げるために精子を凍結するという選択があるという話を、治療が始まる前に言われて」
自身の著書で当時の思いを綴っています。
「抗がん剤治療により、精子が死滅し、子どもができなくなる可能性が高いというショッキングな宣告を受けた」(早川史哉著『そして歩き出すサッカーと白血病と僕の日常』より)
「病気になってから襲いかかってくるあらゆるショックをかき消すために、自分を保つために自己防衛手段を講じてきたけど、この事実だけはその自己防衛をも凌駕するほどショッキングな出来事で僕は初めて人前で取り乱した」(早川史哉著『そして歩き出すサッカーと白血病と僕の日常』徳間書店より)
その早川選手に寄り添い支えとなったのが家族やのちに妻となる真優さんでした。
妻・真優さん
「白血病になって治療することによって子どもが持てないというところで、初めて泣いた。そういう感情を出したので、でもその前に私としては史哉本人の命をまず大切にしてほしいというか、そっちの方が私としては大切だったので、生きてほしいよと言いました」
真優さんは大学時代の同級生。同じクラスでしたが3年生の時に初めて話しました。
病院からの外泊が許された際、真優さんが撮影した1枚の写真。
妻・真優さん
「すごい散歩している時にしんどそうで、まずいなと思ったので帰ろうかと言った」
アルビレックス新潟 早川史哉選手
「サッカーをやってバリバリ動いていた早川史哉という像が少しずつ崩れて行っているのを感じたので、妻にそういう姿を見せるのは情けなかったし、自分が自分でなくなってしまう悔しさがこみあげてくる感じ」
精子を凍結したのち、抗がん剤治療や骨髄移植などを経て徐々に快方へ。
白血病の診断から1年。恐る恐る体を動かし始めます。
アルビレックス新潟 早川史哉選手(2017年当時)
「すぐきつくなるんですよ。衰えを感じますね」
―リフティング続いているじゃないですか?
「昔の輝きはどこへって感じですね」
そして、病の発覚から約3年半が経った2019年10月。
場内アナウンス
「ディフェンダー・早川史哉」
夢の舞台へ帰ってきました。
アルビレックス新潟 早川史哉選手(2019年当時)
「小学生のときから目指していたというか、この中でやりたいと思っていたので、サッカーできる幸せを改めて感じました」
その後はチームを支える存在としてJ1昇格にも貢献。2023年の春には長男・瑛翔くんが誕生しました。
妻・真優さん
「“8”が好きなので背番号とかも8が多くて、じゃあエイトかなって、そこから漢字の画数とかを考えました」
アルビレックス新潟 早川史哉選手
「やんちゃな時期で手がかかって大変な部分はありますけど、あのころから信じられないというか、元気に生まれてきてくれて生活しているので、その時間を3人で過ごせるのは幸せだと毎日思います」
夫の闘病中友人から将来への不安を指摘されたこともありましたが、真優さんの心が揺らぐことはありませんでした。
妻・真優さん
「絶対に人を悪く言わないし自分に意識を向けて常によくしていこうというところは一番尊敬できる」
病を乗り越え選手として走り続ける自分だから伝えられることがある。
早川選手は今、小学校で自身の経験を話したり。未来のJリーガーを目指す子どもたちと交流したりする活動を積極的に行っています。
“新潟史上最高”を目標に掲げた新たな指揮官。
そして始まった、し烈なレギュラー争い。プロ入り10年目の2025年もチームのために戦う覚悟です。
アルビレックス新潟 早川史哉選手
「本当にろいろなことがありましたけど10年その先もと考えるなら、まずはこの1年しっかりと勝負して自分自身チームにアピールしてチームのために戦いたい」
病との闘い。一方で、まわりの温かさが大きな支えとなりました。少年時代から変わらない夢の舞台で仲間と“新潟史上最高”を目指します。
2025年1月23日「夕方ワイド新潟一番」放送より