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【昭和100年 映像館⑧】名古屋市公会堂 完成祝賀会

2024年12月12日 18:40
【昭和100年 映像館⑧】名古屋市公会堂 完成祝賀会

昭和が誕生してから2025年で100年。欧米に追いつけ追い越せの激動の時代にたくさんの映像を残したカメラマンがいました。そのカメラマンがレンズ越しに見た昭和の貴重な映像を紹介します。第8回目は、昭和5年に完成した「名古屋市公会堂・完成祝賀会」の様子です。

昭和5年(1930年)に完成した名古屋市公会堂は、摂政宮(後の昭和天皇)のご成婚を祝し、名古屋市の記念行事として、大正13年(1924年)1月に決定しました。昭和2年(1927年)に起工。昭和5年10月に開館しました。地下1階、地上4階の公会堂は、「東洋一の殿堂」と呼ばれ、東の東京の日比谷公会堂、西の大阪の中央公会堂と並び、多くの人たちが訪れました。【中京テレビ・映像館】の第3回「海の女王撰定大會」でも集合場所として、映像に記録されています。今回は、昭和5年10月10日・11日と2日間にわたって行われた祝賀会の様子です。

【作品解説】
名古屋市公会堂が開館したのは、昭和5年10月10日。公会堂の完成は、9月30日でしたが、10月1日の国勢調査をひかえ、遅らせて行う事になりました。その理由は、名古屋市の人口が、100万人突破することを見込んで、公会堂の開館記念、人口100万人突破記念、第3期水道拡張事業、下水道処理場の四大事業竣工祝賀会として行われる事になったと言います。しかし、実際には、100万人を少し欠けた結果となったそうです。1日目(10月10日)には、午前10時、政財界関係者に地元の名士、いわゆるVIP約2000人が参列し、東久邇宮(ひがしくにのみや)殿下の台臨(たいりん=皇族がその場に出席する事)のもとに華々しく挙行されたそうです。2日目は、1日目のモーニングにシルクハット姿からうって変わって、紋服(もんぷく=紋付きの着物)姿が多く、市内各町総代、在郷軍人会長、青年団長ら約2700人が参加。名古屋市内の芸者さんも大勢かり出され、祝賀会のコンパニオンとして、お手伝いをしていたようです。公会堂周辺から東側の池や噴水塔の近くまで、露店が並び関東煮(おでん)やさつま汁の提供も行われたようです。建設費約224万円、そのうちの約180万円は、寄付などでまかなったそうです。また、当時の224万円とは、現在の価値で言うと60億円前後だそうですが、令和6年現在、建築資材や人件費の高騰で、70億や80億は必要では、と言う声もあります。昭和5年という時代は、前年にアメリカで株価が大暴落、世界恐慌の翌年。昭和6年には、満州事変が勃発。「満州は日本の生命線」という言葉とともに不景気を乗り越えようと日本が大陸進出を本格化する前年でした。
※名古屋市公会堂米軍占拠期間:昭和20年9月26日米軍に接収される~昭和31年2月15日米軍より返還(10年5か月)
※占領期間:昭和20年9月2日(降伏文書調印)~昭和27年4月28日(サンフランシスコ平和条約発効)独立(6年8か月)

【参考文献】
・「半世紀のあゆみ」名古屋市公会堂(名古屋市市民局)
・「近代日本人の肖像」国立国会図書館
・物価の文化史 展望社

【協 力】
名古屋市市政資料館

【撮影者説明】
横井湖南氏:名古屋生まれ 1910年~1957年
昭和の初め、映画の楽しさや奥深さを伝えた映像作家の草分け的存在

【映像提供】
横井克宜氏

最終更新日:2024年12月12日 18:40
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