旧陸軍被服支廠で自由見学会 広島
「旧・広島陸軍被服支廠」は、今年1月に現存する4棟すべてが国の「重要文化財」に指定されたばかりです。
安全への配慮から敷地への立ち入りさえ禁止されているこの被爆建物に、もっと関心を持ってもらおうと奮闘する主婦がいます。
★藤原美香さん
「旧字体の廣島とカタカナのヒロシマと今使っている広島、ひろしまには3つあって」
「この赤レンガ倉庫はどっちかというと、ここ(廣島)にもポイントがあります」
「旧・広島陸軍被服支廠」…。31日まで、自由に敷地に出入り出来る見学会が開かれています。
訪れた人たちに、遺構のかつての役割や歴史を紹介するのは、この催しを企画した藤原美香さん…。
近所に住む主婦です。
★藤原さん
「考えてもらうためには知ってもらう必要があると思うんですね。ここに入ったのは初めてという小学生もいたのでよかったなと思います」
L字型に並んだ4棟からなる「陸軍被服支廠」は1914年に完成…。戦時中は兵士の軍服の製造などに当たる軍需工場でした。
原爆投下後は、救護所として多くの被爆者が運び込まれました。
そんな建物のうちの2棟の解体方針が示されたのは、2019年でした。
★藤原さん
「話が出るまで私、近所に住んでいてもこの建物のことを全く知らなかったんですね。古い建物だし、危険な建物だったらなおのこと4棟も要らないって思っていたんだけれども」
シンポジウムなどで、全棟の保存を訴える人たちの声を聞くうちに、考えが変わります。
★藤原さん
「知ると大切だなという気持ちに共感できて出来る範囲の保存を願う活動をしたいなと思ったのが2020年からですね」
去年秋からは、月に一度見学会を開催…。今月は期間を1週間にのばし、最終日に被爆ピアノの演奏会を開こうと、調律師の矢川光則さんに協力を求めました。
★矢川さん
「ここで被爆ピアノを通して追悼コンサートをやることで、あらためて終戦から来年80年 になるんですけど平和に対しての思いを考えていただけたらなと」
藤原さんがこだわるのは、若者をこの活動に取り込むこと…。見学者のガイド役を任せようと研修会を開いたのは、先月でした。
★広島大学 村田知美さん
「平和公園はすごいみんな知っていると思うんですけど、こっちも知っておくべき建物だなと自分では思ったので日清戦争から原爆後、戦後にかけての広島をガイドで伝えたいと思っています」
激しい雨となった菜種梅雨も明けた27日…。見学会4日目です。
★藤原さんO
「もうずっと雨で、きのうは風も強くて本当にさみしい来場者となっております」
学生ガイドもなかなか日程があわず、藤原さんが孤軍奮闘です。そんな時、県外から孫を連れて来た夫婦との思わぬ出会いもありました。
★藤原さんガイド
「写真を見ると顔を見づらいし、ふーんと思うかも知れないけど、誰かのお母さんであったり、誰かのお姉さんであったり、娘であったり、そういった人たちが戦争をここで支えていた」
★参加者
「私が思っていたよりも、(孫が)ずっと熱心に見たり聞いたりしてくれたので、やっぱり連れてきてよかったと思いました」
「(藤原さんは)一生懸命勉強されて、これがなくなっちゃうからみんなに知ってほしいということで始めましたと言われて、本当にわかりやすく、てきちっとした説明でした」
見学に訪れたのは、3時間でおよそ40人…。
ひとりでも多くの人が被服支廠を知り、戦争について考えるきっかけになればとの願いを込め、31日の最終日には被爆ピアノによる演奏会を開きます。
【2024年3月27日】