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【つなぐヒロシマ】救護にあたった若者たち 80年前を伝える被爆2世

2025年2月20日 19:31
【つなぐヒロシマ】救護にあたった若者たち 80年前を伝える被爆2世

読売新聞と共同で原爆の記憶を記録する「つなぐヒロシマ」です。今回は、東広島市で80年前の若者の体験談を次世代に伝える被爆2世の男性です。

■体験記
「痛さのあまりの叫び声や呻き声、そして身動きの少ない瀕死状態の人達、まるで修羅場を見る思いがしました。」

記したのは、80年前の原爆投下直後に救護活動にあたった女学生です。いまの東広島市から広島市に多くの若者が向かいました。

■体験記
「遺体がむごたらしいありさまで並べられ、重油を注ぎ燃やされる光景をみた。人の最期にもえる炎に、人間の終末を遂げる悲しさが込み上げ、涙が止らなかった」

手記が保管されているのは、県立賀茂高校。同窓会の事務局長・大石秀邦さんは被爆2世です。教師として、今も母校の教壇に立ちます。

■大石秀邦さん
「(東広島は)大きな被害を受けなかったので、より多くの学生さんや大人が被爆後に入市をして救援救助をするという活動を多くされておりますので、そういった人たちの活動をぜひ紹介したい」

救護にあたったのは、女学生だけではありません。旧賀茂郡の北部地域の若者らで構成された「賀北部隊」の隊員です。

■手記
「目に入るものは一面瓦礫の焼野原、骨組みだけの電車、自転車、眼前には 被爆死体や負傷者 。筆舌に表す事の出来ぬ惨状である。」

■大石秀邦さん
「まさに今の中高生と同年代の方々が本当に過酷な環境の中で体験されたことを、そして残された手記というのは非常に貴重なものだと思いますので」

”次の世代に継承したい”。大石さんは3年前、「次世代による継承ネット」を立ち上げました。手記などをホームページで公開し、戦争や原爆の体験を広く伝えます。

■大石秀邦さん
「こちらが1993年(平成5年)に建立された、原爆死没者の慰霊碑です。」

賀茂高校の近くの八本松地区。担い手が不足し、一時慰霊式を開くことができませんでした。いまは、高校の生徒たち若い世代が中心となってイベントなどを開いています。

■大石秀邦さん
「この東広島でも多くその救援活動に参加されてきた事実というものもいっぱい存在をしているので、ぜひそうしたものに目を向けていただいて、同時に同じ世代が何を見て何を考えてきたのかというものをしっかり今の若い人たちにも実感をしてほしいし、さらに次の若い世代に伝えていってほしいなと」

(2025年2月20日放送)

最終更新日:2025年2月20日 19:31