【能登半島地震から避難】広島県福山市の避難先で出産 ふるさとへ帰る日を待ち続ける家族の思いとは…
能登半島地震から、4月1日で3か月を迎えました。石川県では8000人以上が避難生活を続ける中、遠く離れた広島に避難している家族がいます。避難先での誕生した新たな命とともに、ふるさとへ帰る日を待つ、思いを取材しました。
■次女・及川千慧さん
「震災とかいうよりは、ただ生まれてよかった。」
及川千慧さんと、2月に誕生したばかりの長女の藍奈ちゃんです。出産は予定していた生まれ故郷の石川県ではなく、遠く離れた広島県福山市でした。能登半島地震で避難生活が続いているためです。
千慧さんは母親と姉とともに、石川県輪島市で被災しました。福山市鞆町の寺で僧侶を務める弟を頼り、避難生活を送っています。
■母親 経本利枝さん
「息子のところに去年子どもも生まれているので、その顔を見に来ることはあっても、ここで生活するとは想像していなかった。」
元日、能登半島を襲った最大震度7の地震。輪島市では多くの建物が倒壊し、大規模な火災も発生するなど、大きな被害を受けました。地震発生時、千慧さんたちは輪島市内にある「のと里山空港」に向かう途中でした。東京に戻る予定だった千慧さんの夫を送るためです。
■母親 経本利枝さん
「自分の横の道が割れていく、目の前の道路が隆起して、そこの上に大きな車が浮いたような状態とか。ただの揺れだけではなくて、そういう物の壊れていく様子が余計に怖かった。」
何とか空港にはたどり着いたものの、市街地につながる道路は寸断。空港での避難生活を余儀なくされました。千慧さんは里帰り出産のため、東京から輪島市に戻っていた時でした。予定日は、1か月半後に迫っていました。
■次女・千慧さん
「今後どうなるのかが全く見えない。家に帰れるかも分からない状況だったので、どこで産めるのかなという感じ。(避難所では)食事よりトイレで手が洗えない、顔が洗えないという方が私的にはきつかった。」
■母親 経本利枝さん
「妊婦の方がアレルギーがひどくて、顔中が薬を使っていないとパンパンに目が開かないくらい腫れててひどかったもんで、このままここにいてもダメだなと(思った)。」
千慧さんの父親が空港まで迎えに来たのは、地震から5日後のこと。娘たちの荷物を取りに帰った母・利枝さんが見たのは、変わり果てた自宅の寺でした。
■母親 経本利枝さん
「鐘撞堂は潰れているし、家も前よりひどかった。傷み方は。(家の中は)ぐちゃぐちゃですね。」
千慧さんの姉はダウン症のため、長く空港での避難生活は送れない。その思いで母親は、輪島市を離れ、長男の住む福山市へ避難することを決断しました。
出産予定日が1か月半後に迫っていた千慧さん。夫と生活する東京への移動よりも、身体への負担が軽いと考え、母親らとともに福山へ。そして、2月19日、無事出産しました。
■次女・千慧さん
「私的にも初めての出産なので、人の手もあるしっていうので(福山に来た)。ここにいるのは不安がない。」
3月中旬。千慧さんの父親が、孫の姿を一目見ようと福山を訪れました。
■次女・千慧さん
「初めての子どもなので、とりあえずかわいいっていうのが一番。無事に生まれてよかったねと。」
千慧さんたちは現在、福山市の中心部にほど近い寺の事務所を借り、避難生活を送っています。
■母親 経本利枝さん
「障害をもった娘もそうだし、妊婦もそうだし、どこにどう逃げたらいいか地震があった時は悩んでいたので、ここ(福山)に来てとても助かっている。」
■次女・千慧さん
「こっちでいろいろサポートしてもらって安心して生活できた分、その1週間の避難生活が信じられない。」
千慧さんの母親は、輪島市で仮設住宅への入居を申請をしているものの、建設の目途は立っていないといいます。家族は、再び能登で暮らせる日を福山で待ち続けます。