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8年前の経験を能登に伝え生かす 「止まった時を徐々に進める熊本とのつながり」

2024年4月11日 21:39
8年前の経験を能登に伝え生かす 「止まった時を徐々に進める熊本とのつながり」
能登半島地震から3か月
4月14日で8年となる熊本地震についてお伝えするシリーズ企画「つなぐ 熊本地震8年」。今回は8年前の熊本の経験と今年1月に起きた能登半島地震とのつながりを見つめます。緒方キャスターが現地を取材しました。

(緒方太郎キャスター)
先週、私は熊本地震と同じ最大震度7を観測した石川県輪島市を訪ねました。被害の爪痕が残る被災地は、「時が止まったまま」と表現されることがあります。ただ、熊本とのつながりが徐々に徐々に時計の針を進めていました。

能登半島地震から3か月。今も能登の悲しみは癒えていません。
■輪島市 舩本友子さん
「泣かんと思っとっても涙出るね、家を見るとね…。本当に泣きべそになって、わけいかんわ」

熊本地震の経験を被災した地域に生かしたい。その思いで切れ目ない支援が続いています。
■御船町から応援 髙本 光さん
「もちろん熊本地震の知見を皆さまにお伝えするのもあるんですけど、全国からの派遣の一員として精一杯頑張りたい」

熊本から、能登へ被災地のバトンがつながっています。
■緒方太郎キャスター
「金沢市から北上して奥能登の輪島市に入りました。熊本地震と同じ最大震度7を観測した町です」

能登半島地震から3か月がたった石川県輪島市。出会ったのは子どもたちの笑顔です。ただ、心の奥には、3か月前の記憶がこびりつきます。
■緒方キャスター
「お友達と一緒に遊べて楽しいね」
■女の子
「うん、避難所さびしかったもん。最初の1日、2日は」
■母親
「知り合いや友だちも亡くなっちゃったので、自分は家族もいて良かったなって」

輪島市は1万5000棟ほどの住宅が被害を受け、関連死を含む106人が命を落としました。
■緒方キャスター
「観光名所の輪島朝市がある地域に来ました。地震の後の火災で、町一帯が焼け焦げた状態になっています」

多くの建物が焼け落ちた朝市通り。犠牲になった人を悼む姿が後を絶ちません。

■犠牲者を悼む人
「私の1つ上の先輩だったんです。その人と奥さんと奥さんのお母さん、3人ここで亡くなった。奥さんからの年賀状、今年も仲良くしてねという年賀状を見たときに涙しか出てこなくて」

この地域で、熊本との縁を感じている人もいました。火災で自宅や寺を失った泉原隆司さんです。
■泉原隆司さん(48)
「本当に助けられました。一度だけじゃなくて、何度も足を運んでくださって熊本から。お米であったり食料であったり、もろもろに日用品を持ってきてくださったんです」

災害のつらさを知る熊本の知人が、折れかけた心を支えました。

能登と熊本。災害対応を担う役場でも、つながっています。
■輪島市税務課 上杉英一さん
「熊本県を始め、色々な自治体さんが来ていただいて、本当に感謝しかないというか、応援がなかったら何年かかるかわかりませんので」

1月下旬から始まった熊本県や市町村からの職員の応援。これまでに石川県内に799人が派遣されました。実際に熊本地震の教訓が生かされた任務があります。
(調査のようす)
「危ないので足気をつけてください」「はい」

住宅の被害を調べる調査です。被災した人が行政の支援を受けるための罹災証明の発行に欠かせない業務です。
■輪島市 舩本友子さん
「大変だわいね…(涙)。今、調べてもらっているから、大丈夫って言えばまた考えもあるから、子どもたちと相談せんならんしね」

御船町から応援に入った髙本光さんも携わります。
■御船町から応援 髙本 光さん
「熊本地震の時もひどかったんですけど、輪島の調査もかなり被害がひどいところが多いですね」

調査する職員によって判定にズレが生じないよう、熊本地震を踏まえた注意点などをマニュアルに追加。1日あたりの調査件数が増えるなど、8年前の経験が生かされました。

■御船町から応援 髙本光さん
「大きい建物(住宅)が熊本に比べて多いので、なかなかスピード感が出ていない実態はあるんですけれども、これからマニュアル化が進んできて、さらにスピードをあげて取り組んでいかないといけないと思っています」

輪島市では、5月中に家屋の調査を終える目標です。輪島市の担当者は、「熊本地震の知見を共有してもらったから、この目標をたてられた」と話しています。悲しみが癒えない能登の春。ただ、同じく被災した熊本の思いや経験は、確実に息づいています。